川柳名句に学ぶ 「38」
           平成29年8月

      

 ☆  原爆川柳を読む  3

     原爆投下から72年
      原爆の日 広島 8月6日 ・ 長崎 8月9日

 ☆  詩を書いていた人、川柳を書いていた人々は、その時何を見て
    いたのか。
    被爆という空前、絶後の体験の中で、何を感じ、何を体験し、
    何を書きとめ、そして今なお何を書き続けてきたのか

 ☆  詩人 峠 三吉 「原爆詩集」の中から

      八月六日

     あの閃光を忘れえようか
    瞬時に街頭の三万は消え
    圧しつぶされた暗闇の底で
    五万の悲鳴は絶え

    渦巻くきいろい煙がうすれると
    ビルディングは裂け、橋は崩れ
    満員電車はそのまま焦げ
    涯しない瓦礫と燃えさしの体積であった広島
    やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
    両手を胸に
    崩れた脳漿を踏み
    焼け焦げた布を腰にまとって
    泣きながら群れ有るいた裸体の行列

    石地蔵のような散乱した練兵場の屍体
    つながれた筏へ這いより折り重なった河岸の群れも
    焼けつく日差しの下でしだいに屍体とかわり
    夕空をつく火光の中に
    下敷きのまま生きていた母や弟の待ち当たりも
    焼けうつり

    兵器廠の床の糞尿のうえに
    のがれ横たわった女学生らの
    太鼓腹の、片目つぶれの、半身あかむけの、丸坊主
    誰がだれとも分からぬ一群の上に朝日がさせば
    すでに動くものもなく
    異臭のよどんだ中で
    金ダライにとぶ蝿の羽音だけ

    三十万の全市をしめた
    あの静寂が忘れえようか
    そのしずけさの中で
    帰らななった妻や子のしろい眼窩が
    俺たちの心魂をたち割って
    込めたねがいを
    忘れえようか

 ☆  その日、原爆を心と体で受けとめた人たちの川柳を
    どのように詠んでいたか。

       火傷また火傷火傷が火に追われ      あきら
       水汲んで戻れば息のない火傷        〃
       帰らない子へ泣き帰った子へも泣き     木公
       死体皆我が娘に見えて起してみ       九晃
       校庭へ死体丸太のように積み        幻詩

       罪人のようにケロイド見つめられ      照子
       子らの碑へ母は必死に生きている      尚志
       八月の平和どこでも水が飲め        泰人
       核は今死んだふりしている平和      由香里
       人間の形で死ねるだけでいい        文世