猟師で釣師

猟師は26歳で始めた。

誘われて、射撃場で初めて引き金を引いた。
ちびりそうになった。
『おれ、やめるわー』 と言おうと振り返ったら、
みんな、にこにこしていた。
言い出せなかった。
しかたないから、クレーに向かって引き金を引き続けた。
うまいじゃん、と後ろから声がした。
オリンピックに出られるかもしんねえぜ、と、また声がした。
その気になった。
ひと月ほどたって、初めての猟期が来た。
猟友会の初猟に参加した。
山の上の小さな池に、20人以上が集まった。
池の片側に、ぐるっと『とや』が作ってあった。
暗いうちに『とや』にもぐりこんだ。
夜が明けた。
そーっと、『とや』の葦の陰からのぞく。
『いたっ!』
・・・・・・・・

夕方になった。
とれたカモの数は、参加人数に足りなかった。
あきらめた。

古参会員の一人が、首が緑色の見事なカモを、足元に放ってよこした
『あのー、おれ当たらなかったから』 
『会社でみんなカモを待ってるんだろ』
 
翌日は大宴会になった。
『青首はうめー!次回もお願い。』
『ブルーネック アソシエーション』 の名義で口座を作った。
『宴会で喜ばれるためにとる』 
殺生=罪悪 < 宴会
ひとつの答えになった。

それから、10数年が過ぎた。
猟友会員は、一人、また一人と減っていった。
ついに、人数不足で、山の初猟ができなくなった。

物置に、海水浴で使った小さなビニールボートがあった。
家人に、千曲川の上流まで車で送ってもらった。
水しぶきで、ボートの中にどんどん水がたまった。
腰まで水につかって5時間。やっと、自分が乗り捨てた車にたどりついた。
大きな満足感。
千曲川ボート猟のはじまりだった。

ビニールボートは、ゴムボートに変わった。
水が入っても濡れない。
快適だった。
しかし、川の流れは下り専門。
スタート地点には戻れない。。
『エンジンがほしい』

小型船舶4級を取った。
そして、船探しが始まった。
どこへ行っても、誰にあっても
『どこかに、船ない?』

1年が過ぎたころ、譲ってもいいよ、という人が現れた。
現物も見ずに、購入の約束をした。

翌日、現物を見てびっくり。
5人乗りのモーターボートだった。
でかすぎる。浅瀬で底がつかえてしまう。第一、どうやって千曲川まで運ぶんだ。
いまさら断れない。
それが、日本海釣師のはじまりだった。

結局、また、船探しになった。
今度は 『川で使える舟』 と必ず言うことにした。

2年が過ぎた。
川舟と8馬力の船外機を探し当てた。
やっと、一人でできる千曲川カモ猟師になった。