30年よりもっと前だったろうか、3人ばかりの仲間と、お盆に桂池へ遊びに行った。
潜って 「あぶ貝」 (カラス貝)を獲った。桂池の 「あぶ貝」 は、でかい。掌くらいある。
湖畔で焼いて食ってたら、「おれも、仲間に入れてくれや」 と、
ビール瓶を何本もぶら下げたおっさんが来た。同級生 「ゆきひろくん」 の親父だった。
「あぶ貝」 は固いし、味もついてない。それを、うまい、うまいと食いながら、上機嫌だった。

このほど、その親父が92歳で亡くなった。
終戦後、大陸から引き揚げ、雑貨屋を始めた。亡父達の出資を得て、建設会社を起こした。
どちらも順調だったが、スキー場が閉鎖されると店を畳み、公共工事が減って建設不況になるや
いち早く会社を清算、借金を残さなかった。親の仕事を引き継いで、四苦八苦する二代目が多い中、
創業し、自ら廃業するという、実に決まりのいい、見事な一代だった。

喪主は、早世した 「ゆきひろくん」 の弟、飯山市長の 「まさのりくん」 
葬儀に参列したが、 ・・・ 父ならともかく、なんで俺なんか、呼ぶのかなあ ・・・
元・株主の倅と、おもだった元・従業員を葬儀に呼んでくれ、と遺言したそうだ。合掌。
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