島崎藤村 「千曲川のスケッチ」 に、こんなくだりがある。

私たちは飯山行きの便船が出るのを待って居た。
男は眞綿帽子を冠り、藁靴を穿き紺色染めの眞綿を龜の甲のやうに背中に負って家の中でも手拭を冠る。
それが斯の邊で眼につく風俗だ。 ・・・ 中略 ・・・

そのうちに乗客が集まって來た。 私達は雪が積もった崖に添ふて乗り場の方へ降りた。
屋根の低い川船で、人々はいづれも膝を突合せて乗った。水に響く櫓の音、屋根の上を歩きながらの船頭の話聲、
そんなものがノンキな感じを與へる。船の窓から眺めて居ると雪とも霙ともつかないのが水の上に落ちる。
光線は波に銀色も反射を與へた。斯うして蟹澤を離れて行った。

千曲川通船の乗り場 「かにさわ」(豊野町) は、この新幹線橋梁を越えた、向こう岸あたりにあったらしい。

そして、そこから船に乗った人々は、こんな景色を見たに違いない。

正面は高社山。 ただし、この上信越自動車道・千曲川橋梁は、当時はもちろんなかった。

川の流れは荒々しいところもあれば、このように穏やかなところもある。 
だから、何度通っても飽きない。 ・・・ 千曲川カモ猟師 ・・・ 20年を超えて続ける所以は、ここにある。

・・・ さらに、この二つの写真を並べて見れば ・・・

千曲川のスケッチに描かれた通船から100年後、高速交通網が信州の北端に届いた象徴の映像となる!