飯山中央橋。 工事用の仮設橋が、ほぼ真ん中まで、できた。 後方は、飯山城址がある城山。

私が子供の頃、明治生まれの祖母は、この橋を 『下船渡』 (しもふなと) と、呼んだ。
それって ・・・ 千曲川通船の船着場? それとも、ここに舟橋があった頃の呼び名?

今になって、なんだろう、と思って、借りてきたのは 「飯山市誌」。
 
それによると ・・・

江戸時代、飯山城下(旧飯山町)への渡し舟が、二か所あった。

一つは、現綱切橋(=安田橋)あたりの 「上船渡」(かみふなと)
 

そして、もう一つが、中央橋あたりの 「下船渡」

そーかー、対岸への渡し舟、船着場だったのね。
明治末期には、「下船渡」 は、舟を並べた舟橋になっている。
 
右は、兵士が隊列を組んで渡る様子。(飯山市誌から転載)

舟の舳先(へさき)が、向いているのは、もちろん上流。

ってえことは ・・・ 向こう岸の少し高い 黒い影は、飯山城址だろう。

つまり ・・・

上の写真と、ほぼ同じ位置からの撮影なのだ!