『飯山戦争から150年』

に、展示されてる資料

千曲川の西側33村から駆り出された農民

明細があって ・・・ それも、

侵攻した賊徒側からも

迎え討つ飯山藩側からも

カネ、食糧、人馬手間賃、踏み倒され

困窮する農民、実に気の毒

因みに、外様地区5村の明細(→)


我が尾崎村では

4月22日 29人 「右同断」 

4月25日 18人 「右同断」

とあるのは 「断った」 ってことか?

どうゆう理由つけて断って

それに対する 「仕打ち」 どうだったか

気になる

この時、尾崎村組頭役、服部作右エ門(さくえもん)

弱冠24歳、頭脳明晰、数学に長じ

のち、明治22年、

町村制施行で外様村誕生の折

44歳の若さで初代村長(外様村史から)

我が家の4代前の先祖

したがって、オレと実に良く似てて
(?)

出しゃばらず、自己主張せず

地位(ポスト)に固執せず、筆まめ

だから、たぶん 

・・・ いや必ず ・・・

書き残してるに違いない

土蔵を探せば、どこかにある

しかし、そこは ・・

中越沖地震(2007..7.16) 以来11年

固く施錠したまま

一度も足 踏み入れてない 「開かずの間」


・・・ うーむ ・・・

(みずか)らの終活は一段落したが
服部家当主としての 「終活」 は(いま)だし

飲んだくれてばかり おれん

放置して死んじまう わけにも イカン


・・・ 天の声 聞こえる ・・・


服部晴邦 ・・・ その方

飯山市代表監査委員、任期4年満了の(あかつき)

以後、死ぬる迄、

服部家古文書調査委員を命ずる

最後のご奉公と、ココロ() (あい) 務めるべし


・・・ はっはーっ! ・・・ 

平伏、片目つぶってニヤリ、 一言(ひとこと)

・・・ 楽勝さ! ・・・