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昨年の雪は、えれ〜 こってした(令和4年1月) |
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昭和48年4月 新入社員として飯山支店に配属され
その 3か月後
金融オンライン要員として、長野市の本店へ転勤になりました
自宅からクルマで信濃平駅まで行って
そこから、飯山線で1時間の通勤が始りました
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ちょうどその頃
尾崎集落内のブルドーザー道路除雪が始り
冬でも車が走れるようになりましたが
路面から30pくらい雪を残すのが当たり前で
深い、線路のような轍を、チェーン装着でノロノロ走る時代でした
その道路除雪も、日が高くなってから行われ
戸狩駅発6:30の飯山線始発列車に乗るのは間に合わず
通勤不可、結局
昭和52年まで、冬だけ長野市の社員寮に身を寄せました
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飯山市で、
昭和50年代前半に始まったホイールローダーでの深夜除雪・民間委託
雪国の通勤事情が一変
なんと、昭和53年(1978年)から
通年 ・・・ 車+飯山線で ・・・ 長野市まで通勤
できるようになったのであります
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こうして振り返ってみますと
雪国住民に画期的恩恵を与えてくれた道路除雪のありがたさを
なんとしても、後世に引き継いで行かねばならない
その為に
重機操作できる人材を一人でも多くつくることが
喫緊の課題、なのであります。
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