きっかけは2000年対策だった。
1999年秋、大晦日から元旦にかけて停電になると騒がれ、反射式石油ストーブが売れた。どうしようかとホームセンターを覗いて、ブリキの時計型薪ストーブが目に止まった。隣には煙突が置かれていた。

プライベートでは緻密な計画はしないことにしてる。嫌いなわけじゃない。仕事以外では行き当たりばったり、良く言えば、感性を大切にしたいと思っていた。そうはいっても、一応、本やネットで調べた。なになに、煙突は横の長さの1.5倍、縦の長さがなければ煙を吸いあげない、ふむふむ。煙突から出る木酢液は、植物の万能薬で効能ばつぐん、ほう、ほう。薪ストーブを焚く者は、薪を割って温まり、薪を焚いて温まり、ストーブを囲んで家族団欒で温まる、うーん!なるほど、なるほど。

工事は全部一人でやった。なかでも、煙突工事は大変だった。
二連梯子の最先端、高さ12mでの煙突取り付けは、命綱を着けての高所作業。
まず地面で、1m長の煙突をロープに結び、ロープの反対側を腰に結んで梯子を登り、梯子の先でロープを手繰って煙突を引き上げつないでゆく。もちろん梯子が倒れないように、控え綱を張ってあるものの、登り降りのたびに梯子は「ユッサ、ユッサ」と揺れる。下はコンクリートだから、落ちれば痛てーだろうーなーと思いながらやった。それでもまだ40代、体重だって今より15キロは少なかったからできた。

薪はどうする?
実は考えてなかった。裏山へ行けば、いくらでもある、と思っていた。子供の頃、囲炉裏、かまど、風呂のたきぎは、親父が一人で山から運んで、かやぶき屋根の屋根裏に積んだ。下で煮炊きすれば、煙が屋根裏に登って、自然にたきぎが乾く寸法だ。しかし、冬用のたきぎは雪が降る前に、半年分を屋根裏に積み上げなければならないのだ。これは大変な作業だったと、今にして思う。
たまたま、隣家で栗の木を切った。それをもらってきて、手持ちのチェーンソーで手頃な長さに切った。それを軒下に積み上げた。その時の達成感がすばらしかった。悦に入って積み上げた薪に見入った。そーかー、これが「薪を割って温まり」なのかー!労働で身体が温まることとばかり思ってたが、達成感で心も温まるんだー!
その後も、人様がいらないという木をもらっては薪にしている。金を出して薪を買えば、灯油よりは割高になる。

ストーブを焚きつけるのは、チョー難しい!
10年を過ぎた、今の方法はこうだ。薪割りで出た木端(こっぱ)をコンテナに入れて乾かす。これの一掴みを下にして、上に薪を置く。木端(こっぱ)目がけて草焼き用カセットガスバーナーを「ぶぉーっ」と1分。当家の煙突は横に長い(7m)。それでも、これで完璧。冷え切った煙突を、強制排気で復活させる。煙突が温まってさえくれれば、暖かい空気は上に行く原理だ、どんどん吸い込んでくれる。ここに行き着くまでには、いろいろやってみた。天井もすすけた。設置はしたけど薪ストーブをやめちゃう人の気持、よくわかる。

ブリキのストーブは便利だった。
かまどのように、煮炊きができた。鍋を載せて、しょっちゅう家族団欒。ストーブはよく燃え、真冬でも部屋の温度はすぐ20℃を超えた。子供たちの山のような洗濯物も、よく乾いた。しかし、このストーブ、熱のため1シーズンで底に穴が開いた。このストーブのメリットは良く燃えること。サラリーマン時代、平日は夜だけ焚いていた。ブリキストーブは必要な時、必要なだけ使うのに適していた。
今、鋳物のストーブを使っている。これは、6年経ったがまだ使える。毎日が日曜日、1日中焚いているが火力調節でき、燃費効率がいいのでエコでもある。

お金の話をしよう。
当初、ストーブと煙突(約20m)合わせて3万円くらいだった。チェーンソーは、ホームセンターで買った安物を持ってたが、すぐ使えなくなった。買い替えた、8万円。長野県原村の薪ストーブ屋まで行って斧を買った、1万ちょっと。昔使った斧が家にあったが、太い薪を割るのは外国製が断然優れている。日本式斧は、木に食いこんで効率が悪い。手割りで1シーズン分の薪を割るのは大変、で、エンジン薪割機を購入した、20万円。ストーブの回りにテーブルがほしい、自作して数千円。屋根付三段薪棚、これも自作で数千円。かかった費用はそんなところだ。で、灯油代はというと、年間使用量が三分の二に減った。金額にすれば、約10万円の節約。その金額と薪づくりの手間を比較して損得を云々するのは意味がない。はっきり言って、薪ストーブは化石燃料の代わりに「ずく」を焚いているのだから。

そうそう、実は今回の「ちょっと長い話」の主題は薪ストーブではない。
卵が先か、鶏が先か。実はこの部屋、民宿をしていた20数年前までは食堂として使っていた。その後、長い間物置兼作業部屋にしていたが、おやじの隠れ家ではなかった。それが、薪ストーブを設置して、どんどん進化し始めた。
人類は火を使うようになって、進化のスピードが速くなったが、まったくそれと同じ。勤めから帰って晩酌して、寝る前の数時間、ストーブの火を飽かずに眺めた。原始人が、噴火や山火事の火を自分の棲み家に持ち込みたくなった気持ちがよくわかる。テレビは見なくなった。というより、興味がある番組だけ録画で見るようになった。あとは、ストーブの火を時々見て、この部屋に何を作ろうか、どう改造しようか、誰を呼ぼうか、どうやって飲もうかと考えるようになった。そしてまた、ストーブの火をちょっと見るのだ。私にとって、薪ストーブの「火を見る窓」は重要だ。温度は体感で分かるが、さらに、赤々と燃える火を見ることで心に充足感が広がる。実に不思議だ。60歳の今、人生の5分の1を、薪ストーブのあるおやじの隠れ家で、あれやこれやの時間を持てたことを幸せに思う。これから先も、この部屋は進化しながら同好の士を増やし続けることだろう。