緑の田んぼに、タチアオイの花が映える。   
この花・・・  「コケコッコ」 とか 「トテコッコ」 と呼んだ。
花びらを取って、根もとを開いて鼻の頭に貼りつけると、鶏のトサカのようになるからだ。
・・・ 写真後方、外様顔戸地区の北側に行くと・・・
 
このあたり 「かなはら(鹿原)」 と呼ばれる場所だ。

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昭和22年 黒岩山中腹の雪窪から泥流が押し出し、鹿原地籍20町歩の耕地が被害を受けた。
これより以前、鹿原には小集落があったが、現在1軒の家もなくなっているのは、かかる災害が
昔からあったため、危険を恐れて他へ移ったのであろう。(外様村史 昭和32年発行から抜粋)
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小学校の頃、「かなはらへ遊びに行こう」と、なんども通った。
尾崎地区からは、子供の足で小1時間。このあたり、大小の岩がごろごろした荒れ地だった。
川には沢ガニがたくさんいたし、「タケズイコ」(イタドリ)がたくさんあった。

現在は、整備されたりっぱな田んぼが広がっている。
・・・ そーか、そんな災害があって、当時、荒れ野原になっていたのか。

まてよ、「鹿原」という地名がついてるってことは、昔、鹿がいたってことだよなあ。
そして今、また鹿が出没する時代になった。 ・・・ 歴史は繰り返す ・・・