かわせ名人
信濃平スキー場は、比較的スキーヤーのレベルが高い。
つまり、急斜面が多い。
その中で、「かわせ名人」が滑ると、ひときわ目を引いた。
特に『ヘリコプター・ターン』の優雅さは圧巻だった。
かわせ名人は高校の同級生。
スキー強豪の母校でも、群を抜くレベルだった。
それに対して私は、小中高を通して、スキーは泣かず飛ばずだった。
大学1年のシーズン、かわせ名人の特訓を受けた。
名人の指導は、的を射ていた。
12
月、1月、2月、来る日も来る日もせっせとゲレンデに通った。
パトロール隊長から声がかかった。
『毎日来てるんだったら、パトロールやってくれや』
思わず、えっ、おれでいいんですか?と聞き返した。
特訓に次ぐ特訓で、自分でも信じられないくらい上達していた。
翌日から、パトロール隊員になった。
頭には、かわせ名人のトレードマークだったベレー帽があった。
師匠からの粋なプレゼントだった。地味な田舎のスキー場でひときわ目立った。
リフトですれ違った女性スキーヤーの、ささやく声が聞こえた。
『派手だと思ったらパトロールだわ』

かわせ名人は、大学卒業後、神奈川県の大きな会社に勤めた。
大型バスで会社の同僚を連れてきた。
民宿に来るスキー客は、スキーと大きなザックを背負って、
電車を乗り継いでくるのがあたりまえの時代だった。
かわせ名人はまた、会社のスキー部にも所属していて、部員を引き連れて合宿に来た。
同僚やスキー部員たちは、来るたびにウィスキーのボトルを土産に持ってきた。
その大切なボトルたちは、飲まずにずっと我が家で眠っていた。
30
年以上が過ぎて、中越沖地震があった。
ボトルの入ったサイドボードは、無残にも、うつ伏せに倒れていた。
そっと、起こすと、戸棚のガラスは粉々に割れていた。
が、ボトルは・・・全部無事だった。