昭和31年2月、黒岩山で行われた全国高等学校スキー大会

選手たちは、宿泊した民家から、大会が行われた黒岩山の中腹まで
スキーを背負って歩き、さらにスタート地点、黒岩山の尾根まで歩いて
2〜3時間かかって、ようやく1本すべるという、苦行僧のような競技。
競技会場から、目視距離約4qの我が家。 
今は亡き父が、土蔵から大事に抱えてきた、伊能忠敬が使ったような測量用望遠鏡
それで観戦した。肉眼ではほとんど識別不能なのに、これっくらいに見えた (↑) 
 

滑走が済んだ選手にふるまわれたのは、「砂糖湯」
今では信じられないが、それがごちそう。戦後まだ11年、時代は貧しかった。
多くの家庭では、冬、男たちは出稼ぎに行き、妻が家を守った。
割烹着のお母ちゃん、大勢の若者たちがまぶしく、うれしかったと思う。
この大会がきっかけになって、数年後、黒岩山スキー場が誕生した。