尾崎地籍 通称 「キツネ林」 を行く2台の馬そり 

「ばそり」 と呼んだ。 なぜ 「馬そり」 なのか?
営業開始時の観光協会長、足立寅夫氏によれば、新潟県の赤倉スキー場をまねたという。
当時、農耕用に牛馬が飼われており、顔戸地区には牛乳の集荷所もあった。
馬そりは雪がとけると運行できない。足立氏によれば、除雪をしないようにと陳情もしたという。
時代の流れ、馬そりは数年で姿を消した。

・・・ この先のカーブを左に曲がると ・・・

尾崎の子供たちが学校から帰って、毎日暗くなるまでスキーをした斜面。
雪面に杉の葉を刺し、旗門に見立てて回転競技。道路うえの斜面からすべって、道路でジャンプ
新雪に尻から飛び込む 「けつジャンプ」 5〜6mの空中遊泳は、なんともいえない快感だった。

・・・ 当時の子供達にとっては ・・・

スキーは、家のすぐそばでする遊び。スキー場でするものという意識は、まったくなかった。