「災害(東日本大震災)に星野監督吠える」という記事があった。プロ野球の開幕を延期するかどうかで、決着がつかないというのだ。さもありなん・・・

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消防団員として、火災、水害、雪崩などの災害に何度も出動した経験から、災害現場に直接足を運んで救援することがいかに重要か、身をもって体験している。

平成18年7月19日、午前4時すぎに携帯電話が鳴った。諏訪支店の支店長から、諏訪湖の水位が上昇して床上浸水が始まったという報告だった。急ぎ出勤の用意をして、軽トラで長野の本店に向かった。現地まで救援に向かうつもりだ。

その前日、梅雨前線は本州付近に停滞し、南からの暖かく湿った空気の影響で記録的な豪雨になった。 特に諏訪湖上流で多量の降雨を記録、諏訪観測所では2日連続で雨量が観測史上第2位となった。水害を心配した支店長と夜遅くまで何度も連絡、結局、彼は帰宅を諦めて支店に泊まりこんで警戒に当たっていた。

早朝、本店に到着して対策を協議した。私は、自分がすぐさま現地へ向かうと主張した。
こういう時、災害経験のない人は必ず反対する。曰く「いたずらに行動することは慎むべきだ」「ここに留まって現地に指示することこそが重要だ」
なーにを言ってやがる。災害現場を見なければ、的確な指示は出せん。それに、被災地職員の不安を払拭するためには、それなりの立場の人間が現地に顔を出すことが最も重要だ。一刻も早く現地へ向かうため早暁に自宅を出てきたのに、こんなことをしていれば今日中に着くことすら危ぶまれる。反対を押し切って出発した。

こういう時、頼りになるマチダ氏に同行を依頼。まず、オンライン端末機を動かす発電設備を積み込む。途中、ゴムボートとウェーダー(胸までの長靴)を購入、更に建設会社から小舟を拝借して軽トラに積み込んだ。これで、孤立した支店から職員を救い出せる。明日、停電になってもオンライン端末機1台は稼働できる。災害時、高速道路はあてにならない。渋滞にはまれば迂回もできない。一般道路で先を急いだ。が、通常でも長野から諏訪まで最低3時間。現地に近づくにつれて渋滞がひどくなった。諏訪支店まであと4〜5キロというところで、ついに車列は動かなくなった。支店に電話して、バイクでの移動が可能なことを確認。途中まで荷物を取りに来てもらうことにした。

30分後、支店から若手職員2名がバイクで到着。バイクは、あらかじめ高台に避難して無事だったと聞いた。ゴムボートとウェーダーを彼らのバイクに積んだ。50ccのバイクには重すぎる荷物だ。「気を付けて行けよ」と別れた。本当は、支店までたどり着きたかったが、この状況では無理だ。あとはバイクの彼らが支店に到着して、渡したボートとウェーダーを活用してくれることを祈るだけだ。「頼む・・・!」

後刻、支店長から報告があった。「服部さんがボートを持ってきてくれて感激しました。」
聞けば、ウェーダーを付けた職員が、腰までの水の中をゴムボートを引いて支店に到着。
女性職員を乗せて避難させ、更に近隣住民をも避難させたという。当日夕方の話だ。
今でも思う、もし、あの時、反対を押し切って出発していなかったら。上司の言を聞いて、無難な行動をとっていたら。自分に、それまでの災害出動経験がなかったら、と。

危機管理には経験が重要だ。誰しも頭で分かっていても、行動が伴わない。というよりは、腰が引ける。自分自身に危害が及ぶ、できれば逃げ出したい、と考える。そして、もしかして好転するのではないか、とつい甘い考えを抱いてしまうが、絶対にそうはならない。逡巡している間に、事態は必ず悪化する。早い決断と行動だけが、被害を減らすことができる。不思議なことに、いざ決断して渦中に飛び込むと、命なぞ惜しくなくなる。高揚する意識のなかで、
己が男であることを誇りにすら感ずるのだ。

翌日、諏訪湖の水が引いた。幹部職員が次々と支店を訪れた。私の任務は終わった。
が、密かに思うところはあった。「人がしないことをする、それがおれの存在価値だ。」