君たち三人が、みんな社会人になって、とうちゃんは親としての役目が終わった。
今度は、君たちが親として子供を育てる番だ。
「とうちゃんは、そんな思いで俺たちを育てたのか」と知った上で、君たちの子供を一人前に育ててほしい。何事も行き当たりばったりでは、うまくゆくはずがない。自分自身が人間として成長し、社会で存在価値を得ることと同様に、次の世代を担う人間を育てることが、この世に生をうけた者のもう一つの重要な務めだと深く肝に銘じてほしい。

「親はなくても子は育つ」という。「放任主義」ともいう。が、私はそういう子育てはしなかった。
はっきり「育てる」という意識で、君たちに接してきた。もの心ついた頃の、君たちの父親は厳しかった。食事の時は、必ず正座させられた。足が痛いと泣いたって許してもらえなかった。「そんなら、食うな」と言われて、また泣いた。小学校の修学旅行感想文に『ご飯を食べる時、どうしてみんな正座しないんだろうと不思議だった』と、にいちゃんが書いた。よそのお宅でごちそうになる時、みんな並んで正座した。とうちゃんは、それが誇りだった。鉄は熱いうちに打て、という。厳しい躾は小学校までだった。そこからは、どんどん手綱を緩め、口うるさいことは一切言わなくなった。自意識がついてから、箸の上げ下ろしまで指示してはいけない。自尊心まで傷つける。それは「躾」ではなく「いじめ」だと思う。

男の子にはスポーツをさせた方がいい。努力することを身体で覚え、忍耐強くなる。そもそも、勝つことは稀だ。負けることの悔しさを身をもって体験する。挫折感を早くに知っておくことは、その後の人生に大いに役立つ。人生なんて、挫折して、挫折して、その都度起き上がることの繰り返しさ。小さい時からこれを知っておけば、怖いものなしだ。いや、そうじゃない、小さい時からこれを知っておけば、挫折から立ち直ることが、当たり前のように自然にできるようになる。逆に、高学年・成人してから、初めてこれを体験するのは残酷だ。場合によっては立ち直れなくなる。

子供に目標を与えるのも、小学校までが限度だと思う。中学生以上になって親が目標を示すのは、親の見栄や欲張りで、子供に負担を与えることでしかない。君たち三人に、小学校5年の春アマチュア無線の国家試験を受験させたのは、とうちゃんが与えた唯一の目標だった。3か月間毎日30分、テキストを大きな声で読むだけだった。そのために、とうちゃんとかあちゃんが手分けして、その日の単元に全部ふりがなを振った。漢字だけではない、無線工学の公式やアルファベット・ギリシャ文字など全部にだ。これで、親も一緒になってがんばっているという、姿勢を見せられたと思う。

てっちゃんが受験した時は、「とうちゃんも電信級を一緒に受けるから、どっちが受かるか競争しよう」と言って奮い立たせた。あゆみの時は、「にいちゃん二人が合格したんだから、君も受けなければならない」と言うと、涙ぐんで頷いた。三人とも、試験1週間前の模擬試験の結果、「このままでは不合格だ」と、とうちゃんに言われて涙を流した。「いいか、今日からは昨日までの三倍勉強しよう。そうすれば、きっと合格する」しゃくりあげながら、三人とも頷いた。結果、三人とも見事合格。そして、このことが君たちに大きな自信を与えただけでなく、とうちゃんが言うとおりに頑張れば、小学生でも国家試験にパスするという我が家の神話ができあがった。

こんなことから、子育てには長期継続と短期集中の両方が必要だと思う。なによりも、親が忍耐強く一緒に頑張る姿勢が、子供のやる気を引き出すと思う。基本的には、親はきっかけを与え、辛抱強く見守り、常に見ていればこそできる時宜を得た助言と励ましが重要で、つかず離れず 空気のような存在であればいいと思う。

毎日、孫を保育園バスに送っていく私に、近所のばあさんが言った。
「おめさん、幸せだな。」 「おかげさまで。」
通り過ぎてから、口の中でこっそり言った。
でもね、ばあさん、これは、私自身が偉いからでも、運がいいからでも、学歴や職業のおかげでもありません。親が私にしてくれたことを、親になった私がまねした結果です。