腰巻奇譚
 (by ハチトリ)

元禄以降、飯山藩の参勤交代で腰巻の渡しが使われるようになったという

と、ゆ〜ことは、それ以前

飯山から安田の渡しで千曲川を越え、東側の高社山麓沿いに南下した

元禄以降は

腰巻の渡し、渡って、そのまま南下すれば

それまで、必ず通過した右下ピンクで囲われた地区を通らず

その西側・山裾を南下する

このピンクで囲われた地区 ・・・ 旧名、下高井郡(こし)村(現・中野市越地区)


つまり ・・・ 「
越村」を 巻いた(迂回した) ルートだから ・・・ 『巻の渡し』

それが誤って & 面白がって 「
巻」 と、表記されるようになった
 
 


以上は

地図を見てて思いついた

だけの

ナンの根拠もない ・・・ ハチトリの空想 ・・・ で、あります



10年後、完成した新・古牧橋の名前が 『
巻橋』 に、なったら