ここ、どこだか わかりますか?

元・信濃平スキー場(黒岩スキー場) 最も賑やかだったトコロ

あの白い建物の左側あたりに

第二リフト乗り場、っつ〜のがあって、リフトは右上方に延びておりました

昨年、食堂跡の建物が撤去されて、元の畑に戻りました

 
 

Wikipediaによれば

1956年、黒岩山一帯が全日本スキー選手権および国民体育大会スキー競技長野県予選の会場となった。
これを契機に周辺住民らが冬季の働き場としてスキー場に着目、黒岩観光協会が設立されて、1960年には
前身となる黒岩スキー場が開設された。スキーブームの追い風を受けて入れ込み者数は年々増加、1992年
には12万7000人超とピークを迎えたが、その後は徐々に減少。地元負担で運営されていたスキー場という性格
もあったため、2001年に赤字の拡大を防ぐために廃業が選択された。

スキー場内では、しばしば雪崩が発生して人的被害も生じた。 1970年3月7日 - 第二リフト付近で雪崩が発生
リフト鉄柱が倒れ、リフトに乗っていた従業員1人が死亡。1978年2月3日 - 長さ700m、幅20mの表層雪崩が発生
第二リフト上部の監視小屋を吹き飛ばして流下、リフト下部にあったレストハウスに達して中に居た4人が負傷
1985年1月5日 - 第二ゲレンデ上部で表層雪崩が発生。25人巻き込まれ1人が死亡

 
 

信濃平スキー場は

1985年の雪崩・スキー客死亡、が、きっかけで廃業した

営業期間40年

一方

我が家の民宿、1963年開業、雪崩事故前の1983年廃業、営業期間20年

その間

オラが運営に関与したのは、後半10年

奇しくも

1983年、日経ビジネスが、会社の寿命30年説を唱えた

 
 

振り返れば

我が家の民宿は、絶妙なタイミングの幕引きだった

継続は力なり ・・・ されど、もっと重要なのは ・・・ やめる判断