うーん、積もっちゃったなあ。 雪下ろししなくちゃならんなあ、と言いながら ・・・
実は、一人、バックホーに乗って、
旗竿小屋(祭りの幟竿をしまっておく小屋)
の、雪下ろしに来たのだ。

いつもなら、20人ほどの村人に動員をかけるが
こんなん重機でやれば、わけねえさ
と、ずくなし爺は考えた。

うちの屋根に、この方法で、いくつも穴をあけた。
その練習が効いてるから、うまいもんです。はは!
もちろん、この屋根には穴なんか、あけない。
30分ほどで、はい、このとおり。

なんだ、雑な仕事だなあって?

雪下ろしの目的は、雪の重量での倒壊防止。
従って、目的さえ達成できれば、仕上がり関係なし。
それに ・・・ ここが肝心 ・・・
どうせ、すぐまたすぐ積もって、元の木阿弥。
さらに、春になれば、とけて流れて、なくなっちゃう!
その無駄な作業が、即ち、雪国の毎日であります。
 
作業しながら妄想する。

これ、やる前なら ・・・ 重機で雪下ろしするなんて、邪道だ ・・・ って、人は言うだろうな。
そして済んでしまえば ・・・ 重機持ってるんだから、一人でやって当たり前だ ・・・ って言うんだろうな。
さらに、区長だからといって、「奉仕」 ではありません。会計係兼務ですから 「作業料3千円也」 払います。
本人は ・・・ 小さいけれど、これもコロンブスの卵さ ・・・ と思っている。


雪下ろしのような重労働は、はっきり言って、年寄りは役に立たない。が、益々増える高齢者だけの世帯。
昔ながらの一律動員では無理になってきた。少人数で、もっと、楽にできる方法はないか。
本体(お宮)の雪下ろし方法に思いを巡らせながら、沈思黙考する爺でありました。