安倍川もち
江戸時代初期、安倍川岸で、徳川家康が茶店に立ち寄ったところ、
そこの店主がきな粉を安倍川上流(梅ヶ島)で取れる砂金に見立て、
つき立ての餅にまぶし、「安倍川の金な粉餅」と称して献上した。
家康はこれを大層喜び、安倍川にちなんで安倍川餅と名付けたという。
実際は、江戸時代の日本では珍しかった白砂糖を使っている事から
有名になり東海道府中宿の名物となった。『東海道中膝栗毛』には
「五文どり」(五文採とは安倍川餅の別名)として登場する。
徳川吉宗も安倍川餅が好物だった様で、駿河出身の家臣に作らせた。
(Wikipedia)
かつて、わが家では 「吹雪餅 」 と、呼んだ
口に近づけると
きな粉が 「吹雪 」 の、ように はらはらと 舞うから、だろうか
この地方の一般的な呼び方か、どうかは知らない
が、
オラは ・・・ この風流な呼び方 ・・・ 食べ方 ・・・ 大好きだ。