この道は、いつか来た道

飯山市街地から長峰丘陵上を縦断、針湖池を通って、戸狩、越後へ通ずる旧道



我が家、4代前の当主、服部
何某(なにがし) 

明治20年12月15日、飯山町 ほか二
村役場 筆生就任(外様村史)

(たぶん) この道を、飯山町役場まで通った (ん だろう) と

現飯山市役所からの距離を測れば、

我が家から6.6km ・・・ 当時の人の足なら、徒歩1時間ほどの道程か

で 「筆生」 って、なにするヒト?

外様村史によれば、町長、村長などの 「祐筆」 だったみたい

更に ・・・ 常識に富み、機知縦横、座談に長じ、

ある時は春風駘蕩 談笑の中に難問題を解決し

ある時は、秋霜烈日 いささかも仮借せず断固所信を実行して

権力、金力に屈せず臨機応変の処置をとり・・(外様村史)




血は争えない、モンでありまして

オレの性格、生きザマ すべて、ご先祖様ゆずりであると納得

オラも、この道を、辿らせて 貰いますわ。