菜の花も、桜も開き始めた菜の花公園

菜の花渡し舟船長になったいきさつ

昭和48年、地元金融機関に就職。コンピューター要員に選ばれ長野市の本店勤務になった。
大型コンピューターは日本IBM製。その技術要員なかむら氏に誘われて銃を持った。
一犬、二足、三鉄砲が常識の、この世界。が、日曜ハンターは、一なし、二なし、獲物なし。

千曲川をゴムボートで下る「らくちん」カモ獲りを始めた。 「エンジン?」 は、職場の後輩。
さすがに気が引け、船舶免許を取得、本物のエンジン付になった。
それから20年、定年退職して猟友会役員を引き受けた。

総会後の懇親会で副市長と一杯。彼は、退職したもと飯山市職員。
ダム湖遊覧船・菜の花渡し舟の船長だったが、副市長に就任して後任を探していた。
「おー、ここにいた」 と、白羽の矢を立てられた。

たまたま狩猟という趣味に出会い、偶然が重なって、菜の花渡し舟船長になるという、
そこに、必然性さえ感じてしまう不思議さよ。
根底を流れるもの、それは ・・・ 大いなる好奇心 ・・・ それあるのみ!