今週の北信濃新聞に、こんな記事が載っていました。



昭和の初め、日米友好の証としてアメリカから日本各地の学校などに、
青い目の人形が贈られた。太平洋戦争が始まり、反米感情が高まる中で
青い目の人形は「敵国の人形」として国が廃棄を命じた。
エッセルさん(この人形の名前)もその時以来行方が分からなくなっていたが、
昭和46年頃、当時の外様小学校教員が宿直室の天井裏にあった箱の中から、
エッセルさんを見つけた。昭和15年から3年間校長を務めた故竹田定実さんが
廃棄の命に抗して隠したのではないか、と思われ、竹田さんが「人形に罪はない」
と話していたことを記憶する人もいた。エッセルさんはその後、
小学校の統合で現在の泉台小学校の校長室に置かれている。 




右の写真は、十数年前、PTAの役員をしていた時に、
泉台小学校の校長室でこの人形を見て、思わず写した写真です。

人形が発見されたのは、私たちが外様中学校を卒業して6年後。
自分たちが通っていたあの小中学校の宿直室の天井裏に、
この人形が、じっと発見されるのを待っていたと思うと、
・・・じいちゃん・・・また・・・「うるうる!」。