小学校の印刷物が配られてきた。
日米友好の人形「エッセルさん」のことが書いてある。



外様尋常高等小学校の学校日誌

 昭和 2年 4月20日 米国寄贈人形到着。
 昭和 2年 4月21日 人形展覧会 午前 小学校
                       午後 村民一般

日本とアメリカの親善と友情を願って贈られてきた人形は12,000を超える数、
現存するのはごくわずか。全国で300くらい。
一番多く残っていると言われる長野県でも30足らず。
その貴重な一つが泉台小学校の「エリザベス・エッセルさん」

エッセルさんが贈られてくる少し前に生まれ、外様尋常小学校時代にエッセルさん
を裁縫室でみせてもらったという阿部えいさんは

「エッセルさんは、裁縫室の高い所に飾ってあった。
ある時、先生がエッセルさんの着替えをするのをみんなで見せてもらった。
人形なんてどこの家にもなくて珍しい時代だったので、それだけでもうれしかったが
『ママー』と声を出したのでびっくりした。」
  


お礼にと、
日本の子供たち
が募金をして、
58の日本人形を
アメリカに贈った
そうです




ふーん。昭和2年といえば、おふくろが生まれた年だ。
そんな頃、アメリカの人形は声を出したんだ。戦争に負けたの、分かるなあ
人形一つ、村じゅうに見せるってのも大層なもんだ。「展覧会」だもんね。
大の大人たちが歩いて学校まで行ったのかなあ。たかが人形見るために。
「そんつらもん、見にえぐ暇あるんだら、草刈でもしてこえ」って言われたんじゃねえのかなあ。
いや、昔の4月は、まだ「さくだち」前だ。草だって出てねえ。じゃ、きっと見に行ったなー。
親父はその時尋常小学校3年。この日の様子を知ってるはずですが、13年前に亡くなって聞くことはできません。