長野市内を流れる裾花川  この川沿いを通るたび、40年前の苦い思い出がよみがえる。

給料日、貰った給料そっくり財布に入れて、意気揚々と繁華街・権堂町へ向かった。
「フグでも食うべえ」 と、同期のTと行ったのは、高校後輩の店。
たらふく飲んで食って、店を出た。アーケードの電柱に登って、「みーん、みーん」 
冬のセミを演じて、通行人の失笑を買った。二人とも、既に、べろん、べろん。
その晩は、Tが住む、裾花河畔の社員寮にもぐりこんだ。

翌朝、
ないっ!

1か月ほどして、警察から電話。・・・ 裾花川で釣りをしてた人から免許証が届けられました ・・・
『あの
、財布はなかったでしょうか?』 『免許証だけですねえ。』 『・・・・・』
その後、1年ほど小遣いに窮した。

こういう場合、みなさんなら、どう対応します?
@ 酒をやめる。 A 財布を持ち歩かないようにする。 B 特になにもしない。

@ は、原因が深酒だからと反省して、以後、一切酒を断つ、という立派な考え方ではあるが
失敗するたびに、その原因を排除して行けば、最終的には生きてるからいけない、という結論
にならざるを得ない。
A は、自分のミスを棚に上げて、人を利用しようという、ずるい考え。
B は、行き当たりばったり。また落とすかもしれないし、二度と落とさないかもしれない。
こういう生き方が好きな人には、向いている。

私は、このいずれでもない。 忘れたい失敗を、絶対に忘れない。
行動を起こす直前、苦い思い出の瞬間を思い浮かべて、自らを戒める。
すると、ペロペロパーで列車に乗っても、カバンをしっかり抱え込み、スーツの前で腕を組む。
頭は意識不明でも、潜在意識の中で自己防衛を図ってる。つまり、泥酔訓練が効いている。
そのかわり、傘は時々犠牲になるが、これは、「いけにえ」 と割り切る。
これで、その後、40年間、貴重品を落としたことは、 
ないっ! 
失敗は、より大きな失敗を回避するために生かす、と考えれば、同じ失敗を繰り返さないものだ。


なんで、こんな恥さらしを書くのかって? ・・・ それは ・・・ 我が子を諭すため、であります。