積雪2m近いが、伸びたブッシュが目につく、信濃平スキー場跡

奇しくも丁度30年前、日経ビジネスが 「企業30年説」 を唱えた。
「企業にも寿命があり、優良企業ともてはやされても、盛りは30年まで」 というものだ。
その当時、衝撃的に受け止められたが、今や定説になった。

信濃平スキー場は、昭和38年に黒岩スキー場として始まり、50年代に最盛期を迎え、
平成に入って急激に陰りがきて、その後、平成13年に閉鎖した。
営業したのは、38年だった。

飯山市では、50年ほど前、太田地区で、最初にエノキ茸の栽培が始まった。
冬の副業として盛んに行われるようになり、ナメコ、シメジなど種類も増えると、専業化が進んだ。
しかし近年、キノコ栽培をやめる農家が増え、昨年、外様地区では4戸が廃業した。

「継続は力なり」 ではあるが、見切りをつける潮時も重要だ。我が家の民宿は、スキー場最盛期の
昭和58年に廃業。べつに、先を読んだわけではない。サラリーマンとの両立が難しくなっただけだが、
結果は 「幸運」 だった。信濃平スキー場閉鎖についての、この記事が、如実に伝えている。