現在鬼無里方面から東へ流れ、長野県庁付近で南に折れている裾花川であるが、慶長年間に
瀬替えが行なわれるまでは、そのまま東流して現在の長野市街地を乱流していた。
この乱流の中州にあった裁松院(寺)が、「島の寮」と呼ばれたことから転訛して
「しまんりょ」 となった (Wikipedia)
(地図の川の流れはイメージ、赤斜線は しまんりょ小路)
長野市は全国唯一の門前町県庁所在地であり、また大きな戦災・大火にも遭わなかったこと
から、画一的な町割りが為されてこなかった。このため、市街地内に毛細血管のような小路
水路が多く現存している (Wikipedia)
この しまんりょ小路、その昔は、善光寺参詣客めあての遊郭があったと聞く
イヤだった長野市勤務
なのに
勤め帰りの 「より道」 に 目覚め
俄然 ・・・ 毎日が ・・・ 楽しくて、楽しくて しょうがなくなった
のん兵衛・ハチトリ誕生秘話、で、あります。