第二次大戦末期、我が家には東京から二所帯が疎開していた。近隣にも、多くの疎開所帯があった。そのまま、この地に住み着いた家族もあって、同級生に疎開所帯の子もいた。それから60年以上が過ぎ、豊かな時代だと思っていた。ところが今、改めて、日々の暮らしがこれほどまでに危ういものだったのかと実感している。政治も行政もあてにならない。大昔からこれまでも、そして、これから先もずっとそうだと思う。もともと、生きて生活することは個人の責に帰するものだ。困ったときに政治が悪い、行政が悪いと批判してみても状況は改善しない。であるならば、自助努力で危機に備えることが必要だ。
災害列島日本に住む以上、「遠くの知己」「疎開先確保」が喫緊の課題だと思う。

「疎開先」を持つには、どんな方法があるか。
まず、「居住施設の自己所有と賃貸契約」経済的負担がそれなりに発生するが、自由に使えるという大きなメリットがある。平時には別荘・別邸として利用できるし、有事以降は定住することもできる。定年退職者や、その予備軍に向いている。 次に、「定宿(じょうやど)を持つ」
長年通い慣れて経営者と昵懇の間柄になっていれば、いざという時とても頼りになる。長期の避難所生活では、心身ともに疲れ果てる。しばらくの間身を寄せる、あるいは時々リフレッシュのために滞在するなど、経済的負担を抑えて疎開することができる。本拠地を長期間離れられない人向き。三番目「故郷を利用する」説明はいらないと思うが、高年齢、世代が変われば疎遠になって利用は難しくなる。

「疎開先」の適地は?
日本列島は地震列島だから、地震がない所を探すのは難しい。したがって、地震があっても被害を受けにくく、その他の災害も受けにくい「地形」を重視する必要がある。したがって、風光明媚、避暑・避寒など別荘適地とは必ずしも一致しない。また、疎開のために多額の投資をすることは、はっきり言ってもったいない。だからといって山奥では、本拠地からの途中経路に災害があれば行き着けない。新幹線・高速道路など、災害後いち早く復旧される交通網を勘案して適地を探す必要がある。その土地に人的つながりや土地勘があれば、なおいい。

ところで、日本の食料自給率が低いことは誰でも知っている。一方、農業で安定した生活を維持するのは困難で、天災・人災など災害に弱く、ある日突然、収入の道を閉ざされることも
ザラだ。なによりも収入が一定しないため、人生設計がしにくいし、厚生年金に比べて半分以下の国民年金では、老後の悠々自適は難しい。この状況が、近い将来劇的に改善されることはまずないと考えるのが常識的だ。そうなれば、食料の自給率は上がらない、むしろまだ下がるだろう。災害のたびに国民が食料を探して右往左往するのは、これから先もずっと続く。
災害頻度が増している実感からしても、早急に自助努力を始めなければならない。

庭や近隣で家庭菜園を、とみんな考える。たぶん、もう野菜の種が品薄になっているかもしれない。庭がなければ観葉植物ならぬ食用植物の室内栽培。これも、スーパーやホームセンターで売り出して人気が出るだろう。田舎に親戚・知人があれば、たいていは遊休農地がある。疎開先の選定に先立って、これを借りるのも一つの方法だ。根菜は比較的手がかからないし、食べる都度収穫したり、収穫後、土の上で保存すれば長持ちする。ジャガイモやサツマイモ、カボチャなど手がかからない作物を植えておけば、草取りなんかしなくても、それなりに収穫できる。年に数回、旅行を兼ねて野菜作り・収穫に行くのも悪くない。終戦後、学校のグランドを耕して野菜を作った、地方の農家へすし詰め列車で買い出しに行った、なんてのは親の世代の話だが、歴史は繰り返す。

主食の『米』、非農家の皆さんは、買い置きがなくなったらスーパーで購入してると思う。だから、災害時には買いだめに走って、店頭から消えちゃう。一度にたくさん買っておけば味が落ちるし、だいいち置き場所に困る。我が家では、玄米を農協の米専用冷蔵貯蔵庫で保管し、必要時に受け取って、コイン精米機で精米して食卓にのぼる。だから、1年間通してほとんど味は変わらない。非農家の人も、こういうルートを持っていれば非常時でも安心。自分専用の米蔵を田舎に持つのと同じだ。

いずれにしても、最初の一歩を踏み出すのに、人的ルートが必要になる。悪い言い方だが、自分の持ち駒に使えそうな駒がないかを考える。なければ、駒づくりから始める。所詮、人は他人を利用するものだし、人に利用価値あると認められない者は、他人を利用しようとしても相手にされない。情けは人のためならず。かけた情けは自分自身に返ってくる。

平時にあって有事を考えることは凡人にはできない。が、有事の今、次の有事を考えることは誰にでもできる。