(平成23年5月30日朝9時の飯山中央橋 +7mの増水)

昭和57年9月 樽川堤防が決壊し、飯山市木島地区のほぼ全戸が床上浸水した。
近所の I 氏が来た。木島の実家に兄が一人残り、孤立している。水と食料を届けたいが、
何とかならないかと言う。

そういえば、妻の実家に横須賀のおじさんからもらったゴムボートとエンジンがあった。
一度だけ野尻湖でのせてもらったっけ。よし、非常時だ。あれを使おう、と野尻湖へ向かった。
・・・ 2時間後、消防のはっぴ姿。この川の向こう側の堤防で、ゴムボートを組み立て、
エンジンをかけた。免許はない。自分で運転したこともない。ま、なんとかなるだろう。

首尾よくエンジンがかかった。堤防のそばの、水没したリンゴの木の上を通って集落に入った。
30分後、I 氏の実家に到着。兄さんが二階の窓から顔を出した。避難しないかと言うと ・・・
今夜のうちに水は引くだろう、その瞬間を逃さず、家の中に堆積した泥を洗い流したいから、
このまま ここに残る、という ・・・ 窓越しに、食料と水を渡して別れた。

あちこちから、人が顔を出した。「乗りますか?」と聞くと、何人も「お願いします」と言う。
結局、6人乗りのゴムボート、行きは I 氏と二人だったが、帰りは10人ほどになった。

水深は3〜4m、二階の窓の高さを進んだ。
と、牛が必死の形相で泳いで近寄って来た。みんな顔を見合わせた。どうすることもできない。
スピードを上げて後にした・・・ 「ごめん!」

堤防に到着した。乗せてきた人たちは、何度も頭を下げて立ち去った。 翌朝、水は引いた。
船の免許をとらねば、と思った。