「ここは、人間が住むところじゃない」という言葉を、人づてに二回聞いた。

もちろん、言った本人はここに住んではいない。が、通りすがりや旅行者ではなく、ここの出身者だったり、働きに来ている人だ。聞いた人は一様に憤慨する。「べつに、あんたに住んでくれと頼んでいるわけじゃない」と。
しかし、なんなんだろう、この捨てぜりふは。本当に、そう思っているんだろうか?

私は、生まれてこの方、ずっとここに住んでいる。
学生時代の4年間は東京で、単身赴任の1年間は長野県茅野市で、長野市には冬だけ4年ほど住んだ。しかし、ここが好きだから、よそに定住しようとは思わなかった。若い頃、職場の上司によくからかわれた。「あんな雪の降る飯山なんか、べしゃって(捨てて)、長野に住め。融資してやるぞ」と。その都度、笑って受け流した。

住めば都、雪はいつものことだから、別に苦痛ではない。春になれば融けてなくなるのに、
なんでこんなことを・・・と共同作業の雪おろしで、みんな笑いながら言う。といって、そう苦痛に感じている風でもない。しかし、人口が減り続けていることも、また事実ではある。

飯山に住むことの、一番のネックは雪のように言われている。みんな、ちょっとでも南へ、雪の少ない方へ家を建てたがると言われる。だから山間部から、同じ飯山市でも雪の少ない南部へ移り住む人が結構いる。その気持ち、わからんでもない。ただ、私にはできない。
なぜなら、一度この広い家屋敷に住む味を覚えてしまうと、隣家と軒を接するような生活は苦痛なのだ。人間ぎらいなわけではないが、ここの生活は、極めてストレスが少ない。
雪だって役に立っている。冬になると大抵の家は、隣の家との間に高い雪の壁ができる。これが格好な目隠しになって、ストレスから解放される。人には人の目が最もストレスなのだ。

飯山に住むことの一番のネック、それは仕事がないことだと思う。だから、生計を維持できる手段さえあれば、雪なんか全然苦にならない。むしろ、冬のレジャー的に楽しめさえするのだ。ただ、仕事=就職先、と考えるとかなり厳しいことは事実だ。かつて主産業だった農業は、何十年も低迷したままだし、昭和30年代から冬の出稼ぎに代わって成長してきたスキー関連も、今や衰退の一途だ。これを打開する方策はあるのだろうか?

面白いことが一つある。
我々団塊の世代の大量退職で、この地域に、元気で生活に余裕のある親父たちが増えてきたことだ。十分とは言えないが年金収入があり、米・野菜は自家栽培する。まだまだ若いし、なによりも、ガキの頃から揉まれて身に付けた精神のタフさを持っている。年齢も経歴も異なるこの人たちが、いろんな局面で活躍する。共通するのは、『年金+農業=生活安定』
この世代の生活が安定しているので、子供世帯が同居しているケースも多い。なんだか、捨てたもんじゃないぞ、という気がしてくる。

サラリーマンを退職する前から温めている構想がある。
この地域に増えている空家と遊休農地を活用して、クラインガルテンを作りたいと思う。そして、都市に住む活動的な年金族に、退職後の生きがいと自給自足の生活を提供したいのだ。田舎に移り住む、ということは容易ではない。経済的な負担はもちろん、まず、奥さんの同意が得られないだろう。しかし、別荘感覚で借りて、野菜を作り、山菜を取り、釣りをして自給自足生活を楽しみ、四季の野山を歩き回って健康と体力を維持し、うまい米とうまい水ときれいな空気を満喫する。雪の季節が不安なら、冬は本拠地へ戻ればいい。気負わずに悠々自適生活を楽しめばいいのだ。経済的に新たな負担さえなければ、楽しんだ分だけ得ってもんだと思う。

都市の住人が、ここに住むための最低条件は水洗トイレだろう。使いやすいキッチンも必要だし、眺めのいい風呂があれば最高だ。客人を迎えられるように、居室は最低二部屋。
できれば囲炉裏つきの居間もほしいなあ。
そうでしょう、そうでしょう。おまかせください、空家をご希望どおり改築いたしましょう。
というわけで、退職後、そのための資格を取得、技術を身につけてきた。
さーて、そろそろ、活動を始める時期が来たぞー。

ここで話を戻そう。今回の命題に、こんな仮説をたててみる。
「ここは、人間が住むところじゃない」と言った本人は、ホントはここに住みたいんじゃないだろうか。しかし、諸般の事情からここに住むことはできない。そこで、自分を諦めさせるために、自分自身に言い聞かせているとしたらどうだ。
うーん、それなら納得できる。