そうは言っても ・・・ オレって、どんくらい、クレー射撃に力入れてたんだろ?

自分の人生なのに、そのあたりの記憶が、はっきりしない。
当時、ある先輩は経営する会社まで撃って煙にしたちゃった(射撃に熱中し過ぎて会社潰した)
それを見て、そこまで、のめり込みたくないと思った ・・・ で ・・・ 記憶があいまい?

そこで ・・・ 古いトロフィー引っ張り出してみれば ・・・ ゲゲッ、けっこうやってたんだ。

昭和52年9月、初めて銃を手にし、翌年、飯山市で優勝、
その翌年、飯水地区(飯山市、豊田村、栄村)で優勝、長野県大会に出場した。
といえば、いかにも優れた才能と豊富な練習量 ・・・ と思うでしょうが、さにあらず。

当時、飯山地方では、狩猟する人は沢山いたが、クレー射撃する人は、殆どいなかった。
さらに、ちょっと練習すれば、だれでも命中率・8割まではいく。
だから、射撃では当たるけど、狩猟の現場では、一番当たらない猟師だった。

トロフィーは、昭和63年まで ・・・ つまり、10年ほど 「熱」 は続き、以後、年に1回。
この盾の年、長野県大会で命中率9割。 今 ・・・ ちょっと練習すれば、8割まで戻る。
つまり、若い時の 「稽古の貯金」 が一生の宝になって、老後の生きがいにつながってる。

たかが 「遊び」 ではありますが 「遊び半分」 では、いけないんだと思います。