12月17日の信濃毎日新聞
『鷲沢長野市長が、就職が内定していない学生へのアドバイスを求められ、本人の反省が必要だと答えて、
議会で追及された』という記事が載っていた。
市長の発言は「社会のせいにして文句を言ってもプラスにならない。あらゆる手段を使ったか、コネを使ったか
反省する必要がある」というような趣旨だった。
ふーん、なるほどね。いわゆる大人の考えってやつね。
そうそう、こういう考え方の対極として、こんな事実がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

君は子供のころから要領が悪かった。
小・中と競技スキーをした。指導しながら競技センスが凡庸なのはすぐ分かった。それでも、まじめに練習した。来る日も来る日もスキー場に通った。下級生にセンスのある子がいた。その子は練習嫌いだった。なのに、
タイムレースでは、その子に負けることが多かった。親として可哀そうで仕方なかった。
しかし、君はくさらずにコツコツと努力を続けた。「この子は、いつか必ず報われる日が来る」そう信ぜずにはいられなかった。

大学は、1年浪人して志望校に合格した。親は、努力が報われたと喜んだ。このまま順風満帆のすばらしい人生を歩んでいけるんだろうと思った。それも、束の間だった。入学当初に提出した単位取得申込書の誤りで進級できなくなった。「そんなばかな」説明書を読んでみた。君の解釈が正しいと思った。しかし、他に誰も間違えた人はいないという。なんてこった、成績不振ではなく単なる事務ミスで留年とは。大学へ怒鳴りこもうと思った。が、思いとどまった。結局1年留年した。

卒業が迫った頃、大学院に行きたいという。ここまで2年、同級生より遅れている。人生は長い。あせることもあるまいと考えた。もともと人気のある大学だ。結果は残念ながら不合格だった。浪人も考えたが断念。秋から就職活動を始めた。大手企業の募集はとっくに終わっている。都内の中小企業に内定した。大学の名前からしたら、親は不満だったが何も言わないでおいた。

四月、サラリーマン生活が始まった。仕送りがいらなくなって親は楽になった。元気で自立してくれればいい。
ぜいたくは言うまいと思った。
ところが、突然のリーマンショック。自宅待機。3カ月後、失業。なんてこった。どこまで続く、茨の道なんだ。
君は何一つ悪いことはしていない。むしろ、同世代の友達の数倍、一生懸命努力している。なのに!

また、職探しが始った。コネを使おうかと思った。が、やめた。
親が口を出せば、子は親を超えられない。私自身、40年前就職活動をしている時、コネがないのを嘆いた。が、結果として自分だけの力で人生を切り拓くことができた。誰にも、どこにも遠慮なく、自分自身で判断し、
思うとおりに発言した。
それはともかく、君の職探しは1年を超えた。何回も失敗して、次第に自信をなくしてゆく君に言った。
「今が一番苦しい時だ。何年かして、あの時は大変だったと笑える日がきっと来る。」

ある日、電話が鳴った。
「うれしくて、うれしくて、・・・」と君は言った。某政令指定都市の採用試験に合格したという。超難関だ。
不景気の今、そんなところを受験したのか。事前に聞いてれば「やめとけ」と言っただろう。こういう時、公務員人気はすごい。合格する訳がない。また、いやな思いをするだけだ。ましてや、君は現役大学生ではない。失業者だ。生活のためにバイトしながらの受験勉強。不利に決まってる。もっと、確実なところを狙ったほうがいい。それが大人の考えってものだ。・・・
しかし、君はまたしてもこつこつ努力して結果を掴んだ。
大したやつだなあ、君って!
君のことだ、これからも、いろんな困難に遭遇すると思う。
しかし、地獄を見た者は強い。
君は、これからも数々の難局に真正面から立ち向かって、打ち勝って行くことだろう。
親の私が言うのもなんだが、君はもう、間違いなく親を超えた。