『息子に言われた、おやじは趣味がねえから、定年退職すれば、することがなくて、すぐ死ぬよ、って。そこいくと、おめーは、いーなー、趣味がいっぱいあって。』 最近、こんな言葉を、たびたび耳にする。
還暦過ぎて、サラリーマンを続けている人も多い。「生活のため」もあるけど「やることがねえ」という
本音も多いらしい。

昨夜のNHK長野版、写真投稿を趣味にしている人を放送していた。最近、投稿者が増加、レベルが上がって、採用されるのが難しいそうだ。人の作品を見て研究するという。こういう過程が、その人の向上心をくすぐって、「生きがい」につながるんだと思う。

退職後、写真を趣味にする人は多い。シャッターを押せば、それなりに作品になるのが魅力だ。技術や感性は、おいおい磨いてゆけばいい。職場の元上司は、イベントがあると、カメラをぶら下げて、必ず
やって来る。聞けば、同好会に入っていて、年に数回発表会をするそうだ。やっぱり、他人の評価があると、張り合いが出る。褒められるから、うれしい。

別の元上司は、退職後、百名山制覇を目標に、奥さんとせっせと山に登っている。こちらは、他人の評価ではないが、目標と結果の積み上げがあるから続くのだと思う。

「仕事が趣味」という人も多い。これまた、ある意味で趣味人だと思う。「熱中することを持つ」それが趣味であり、生きがいの源(みなもと)なのだ。

皆さん、自虐的に「無趣味だから」とおっしゃる。で、ありながら、さほど深刻そうには見えない。
が、私に言わせれば、事態は非常に深刻だ。なぜなら、生きがいの源がないということは、生きててもしかたがない、ということではないのか。生きることに主体性がない。今日一日を、どう過ごしていいか、分からない。だから、おかーちゃんの後ばかりついて歩く。いわゆる「ぬれ落ち葉」だ。(仕事も趣味も仲間もなく、妻に頼りきって離れようとしない定年退職後の男、昭和64年頃の流行語)

我々よりも一回り上の世代に、ハーモニカ、謡曲、カラオケなど、人の集まりで披露したがる人がいる。それそのものは、趣味としてりっぱではあるが、頼みもしないのに、「音」で聞かせられ、拍手して、見え透いた褒め言葉を口にせざるを得ず、とどめの「うんちく」まで聞かねばならない。こういう趣味には、
ちょっと閉口する。

さて・・・
今、何もしていない。何か始めたいけど、どうすればいいか?

私のお勧めは「カメラ」
それも、ポケットに入るのがいい。いつでも、どこへでも携帯する。価格は、自分にとって、ちょっとぜいたくな程度。安物では、不思議とすぐ飽きる。執着心がわかないのだ。被写体は、手当たり次第。ここが、デジカメのいいところ。気に入らないのは、消せばプリント代がかからない。いいのが撮れたら小さな額で飾る。壁に貼る。ただし、人様に「見て見て!」とやるのは避けたい。閉口して、人が近寄らなくなる。自分の回りが作品で溢れ返る頃には、腕も上がる。そんな頃には、発表機会が向こうからやって来るようになるだろう。なによりも、好きな時に、一人でできるのがいい。カメラを持つことで、撮影のための行動が生まれ、道具が持ち主を動かす。これこそが、趣味の真髄だと思う。

職場の後輩が、定年退職を目前にして、ブログを始めた。別の猟師仲間は、写真に自作川柳を添えてブログに載せている。カメラを持つことで、その先の発展も期待できる。発表の場を、自分で用意できるいい時代だ。このツール、うまく使えば、趣味が実益になるかもしれない。第二、第三の人生に、新たな展開が待っているかもしれない。予想だにしなかった時代の寵児になって、世間の脚光を浴び、ひのき舞台に立つ日が来るかもしれない。
そんなこと、あり得ない?
いえいえ、世の中、一寸先は闇、あり得ることも、あり得ないことも、「100%」ではない。
と、すれば、そんな「空想」を密かに抱きつつ、ポケットのカメラをぎゅっと握りしめる、それまた趣味的で、おもしろいじゃありませんか。

いかがです?
始めるのに、決して遅くはありません。しかし、始めなければ、永遠にチャンスはやって来ないのです!だって ・・・ 『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、撃たない鉄砲は当たらない!』