新年祝賀会で飯山市長が興味深い挨拶をした 曰く

江戸から明治に変わった頃、北信地方で最も人口が多かったのは、真田氏の城下・松代町8000人超 ・・・

次が善光寺の門前・長野町8000人、その次が、本多氏の城下・飯山町5000人 ・・・ 

・・・ へえーっ! ・・・ 

そーは言っても、今とは行政区画が違う ・・・ 我が地区は、当時、戸数20戸ほどの下水内郡尾崎村だった

そして、その頃、我が家、4代前の当主は、飯山町の役場に勤務してた、クルマのない時代、どうやって通勤した?

オレだったら、長峰丘陵沿いの旧道を通っても、1時間以上はかかるなあ ・・・ 昔のヒトなら、もっと早く歩ける

飯山町まで往復するなんザ、ゾーサもなかったんだろう、今頃だって、中国から来た嫁は、ヘーキで歩いてる

考えてみれば、3代前も、そのまた子も、役場サラリーマンだったらしい、戦争が終わるまでオヤジもそーだった

つまり ・・・ 我が家、江戸時代から続くサラリーマン ・・・ 先祖のコト、もっと詳細に記録に残さにゃ、イカンなあ

・・・ ま、一杯 ・・・

・・・ あっ! ・・・

勧められて我に返った