定年退職後の現実

退職後の構想は、50歳から考え始めた。
先祖伝来の田畑がある。当然農業をするつもりだった。書店で「定年帰農」「田舎暮らし」「自給自足」
という活字を目にすると手が伸びた。有機栽培や減農薬で米や野菜を作って、販売ルートを開拓して、晴耕雨読のスローライフを、と夢は広がった。

退職して1年余り。農家にはなっていない。
サラリーマン時代、「休日はストレス解消」を錦の御旗に遊興三昧、まったく農業には手を出さず父母まかせ。つまりど素人。自家用、趣味程度ならともかく、知識のない状態からスタートして、収入を得るようになるには、それなりの年数が必要だ。それに、農作業は中腰や腰の曲げ伸ばしが多く、デスクワークと口先だけの36年で、なまくらになった身体にはきつい。

逆に経験が生きた話。かけだしサラリーマンの頃、世の中にコンピューターが普及し始めた。13年間金融オンラインのプログラマーをした。日本IBMのシステムエンジニア教育で技術をみっちり仕込まれた。携帯端末を富士通と共同開発、そのソフトは通勤の飯山線車内で作った。パソコンが企業に導入され始めた昭和50年代、社員のパソコン研修を担当した。勤務先のホームページは、15年前に作った。
駆使したコンピューター言語は6言語。職人技を発揮できるアッセンブラーが最も得意だった。
退職、これからはパソコンも無用と思っていた。ところが、ホームページの依頼がきた。村の会計事務を委託された。パソコン操作の問い合わせもある。ありがたい、培った技術、活用してもらえればうれしい。収入につながればもっと嬉しい。昔、プログラマー30歳定年説。今、60歳、まだまだいけます。

電気工事の仕事、増えている空家をDIYで団塊世代の里帰り宿にしたい、と考えた。それには建築工事の技術が必要だ。日曜大工は趣味でやっていた。上下水道工事は、14年前に自宅水洗化工事を自分でやった。電気工事もちょいちょい自分でやっていたが、これは本来、コンセント一つ付けるのも、資格がなければ違法。そこで、第二種電気工事士の資格を取得した。これで一人建築業ОK。手始めに自宅二世帯住宅化を完成させた。長男夫婦と孫2人が同居するようになってにぎやかになった。
「年金電気工事店」の将来は、電気だけに「明るい」

宅地建物取引業で団塊世代のふるさとへの思いに応えようと資格を取得した。が、開業はいばらの道。業界団体に加盟すれば「みかじめ料」ならぬ数百万円の加入金や10万円単位の年会費を払わなければならない。それだけの収益が見込めるわけではない。業界団体に加盟しない場合は1千万円の営業保証金が必要。どちらも、うーむ!だ。新幹線飯山駅開業は4年後に迫ったが、「年金不動産屋」開業の道のりは遠い。

道楽の「重機」、まだ稼ぐところまではいっていない。しかし重宝している。ホイルローダ。冬の除雪は、パジャマのまま、ラジオを聴きながら。吹雪だって、夜中だってらくちん。夏は、薪ストーブの薪作りにかかせない。立木や薪の運搬はお手のもの。高い薪棚に積むのも、一人作業でできる。庭の整備は、穴掘り名人バックホーが大活躍。なんか、宇宙飛行士のマジックハンドみたいで、仕事が楽しい。
もうひとつの「銃器」、年季があるだけにそこそこ収入が見込める。食べる「鴨すき」以外にも、近年の鳥獣被害増加も要因で、世のため人のためにもなっている。

ところで肝心の年金。60歳の誕生日当日に戸籍抄本、住民票を取得して、年金請求書とともに元勤務先の社会保険労務士のお姉さんに託した。1か月を経ずに年金証書が郵送で届いた。叩かれ続けの社会保険庁、仕事が早くなった。即日、○○厚生年金基金の請求書を記入して再び社会保険労務士へ。しかし、なしのつぶて。結局、誕生日から2か月後の年金支給日に振り込まれたのは厚生年金1万8千円。年金基金に問い合わせたら、事務が滞っていて、更に2か月後になりますだって。?????
4月生まれの同級生が言ってた。「年金なんて、簡単にもらえないんだよー!」納得!

今月、国民健康保険に変更した。退職前に試算したら、国保に加入すれば年約60万円。健康保険の任意継続なら35万円。当然安い方を選択した。失業手当だけの1年が経過、所得ゼロ。健康保険の任意継続はもう1年可能。しかし、追加支払い更に35万円。で国保に変更、今度は年9万円弱。めまぐるしー。これ、服部忍者水上歩きの術。右足が沈む前に左足、左が沈みそうになったら右足・・・ちょっと違うか。 しかし、世の中、いちいち計算してみなけりゃ、数十万円の違いを黙って払うことになっちゃう。今回、2回乗り換えて50万円節約した勘定。だけど、みんな、どうしてるんだろーね?
あ、余談ですが、国保試算表はエクセルで作りました。