この季節、夏草が背丈をはるかに超えて繁茂、千曲川の流れに容易に近づけない。
春先に車が通れた箇所でも、このとおり
・・・ 草を掻き分けて進めば ・・・
ありゃりゃ ・・・ 道が、なくなっちゃった! ・・・ 水面までは3mほどの崖
増水→浸食 で流れが変わり、この春まであった陸地(赤線部分)が川になった(↓)
・・・ 実はこの場所 ・・・
千曲川河川敷にある我が家の畑すぐそばで、軽トラが川岸まで乗り込める
秋になると、河川敷の畑で作った大根を軽トラに積んで、洗いに来る人もいた。
もちろん、車で乗りいれられる場所があれば、ゴミを捨てたり、
農薬の残りを捨てたりする輩も出てくるのは容易に想像できるが、
良心の呵責は、距離と反比例する (私論)
即ち、素手やナイフで生き物を殺せば、良心の呵責にさいなまされるが
遠く離れて鉄砲で撃てば、殺すことに、ココロは痛まないものである ・・・ 転じて
手で水に触れるほどの近さでは良心の呵責で、ゴミを捨てることがはばかられるが
水面までが崖などで遠ければ良心の呵責小さく、平気でポイ捨てし易い
つまり、川は、身近に利用できる存在で、多くの住民が近寄ってこそ、
さらにきれいな流れを実現できるのではないかと考える。
増水の度に流路が変わるのは止むを得ない事とは思うが、
地域住民にとって貴重な「野菜洗い場」がなくなってしまったのは残念である。
(千曲川河川愛護モニター8月定例報告より)