電気工事の師が急死した。
66才、現役でバリバリ働いていた。時折、この「おやじの隠れ家」に立ち寄っては、コーヒーをすすって本音の話をした。息子にスムーズなバトンタッチをして、ずっと経営が安定するようにしたい、と言っていた。それには、「当分、自分が中心になってやるっきゃない」それが、いつもの結論だった。
・・・しかし、果たせないまま、あっという間に、この世を去った。心筋梗塞だった。

東北の大地震・大津波で多くの人命が失われた。
犠牲者の誰もが、その日、その時に、最後の瞬間が訪れるとは、予想だにしていなかっただろう。その方々の無念さを思えば、身をよじるほど悔しい。
死が必ず訪れるものであることは、誰でもわかってはいる。自分にその日が来ることも、もちろん理解はしているつもりだ。それは明日かもしれないし、ずっと先かもしれない。しかし、
今日であるとは思っていないし、思いたくもない。

厚生労働省の死亡原因調査がある。心疾患、脳血管疾患、不慮の事故で死亡、すなわち、ある日突然意識が途絶え、そのまま亡くなった人は、平成19年、20年、21年、いずれも全死亡者の3割にのぼる。つまり・・・3人に一人は、予期せずに最後の瞬間を迎えたのだ。
なんてことだ!
で、あるならば、それ(突然死)を念頭に置いた生き方をしなければならない。

がんで余命○か月、と宣告されたと思ってください。
きわめてショッキングなことではある。しかし、考えようによっては、この世との決別に準備期間があるということだ。だから残酷なのだ、とも言えるが、無念な思いを抱いてあっという間にあの世へ旅立つよりは、私はありがたいと考える。少なくとも、今現在は・・・

多くの葬儀に参列し、葬儀の取り仕切りを何度もした。
結婚式は何か月も前から準備するし、おめでたい席だからトラブルは少ない。しかし、葬儀は常にあわただしく、主人公を欠いての儀式ゆえに、その運営に不満を抱いて帰る参列者も多い。早い話、本人が生きてれば必ず呼んだであろう人に連絡しなかったり、席順・焼香順に配慮を欠いたりする。坊さんへの御布施だって、本人の意思と異なる金額を渡すことがあるだろう。主人公が祭壇から『くそ坊主に、そんなに渡すことはない』と、悔しい思いをしているかもしれない。だから、私は自分の葬儀の詳細を、毎年作り直そうと思う。

たいていの人は、預金証書や保険証券を自宅の金庫などに保管している。そこをあければ保険金の請求など問題なくできる。しかし、津波で家が跡形もなくなったらどうする?
火事で家が全焼。耐火金庫だからと安心できない。耐火性能の寿命は製造後20年。鎮火した後、「中身は大丈夫か?」とあわてて金庫を開けた途端、パッと火がついて灰になっちゃうこともある。通帳がないキャッシュカードだけの預金ってのもある。これは、本人とキャッシュカードがなければ、預金の存在自体がわからない。
私は、これらの現物と明細を貸金庫に保管している。

遺産相続、たいていの人は「そんなに財産ないから」という。
財産がある・なしの問題ではない。自分の死後、相続人たちに無用のいさかいを残さないために、はっきりした方針を示しておくのは、先立つものの義務であり思いやりだと思う。妻・子だけなら差し支えない場合でも、それぞれに配偶者があり、それを取り巻く友人知人・債権者などがあり、亡くなった本人が想像もしない権利関係ができあがっている場合も少なくない。たかが、数万円を奪い合う実態は、ざらにある。したがって、本人が望む遺産分割は、本人が書きのこさない限り保証されないと思わなければならない。毎年の年頭に「遺言書」を書くことで、「家内平和」を確保したい。

身辺整理
別に、いろいろ残してあっちの世界へ行っちゃったって、旅の恥はかき捨て。自分は、もうこの世にいないんだから、いいような気もする。でも、商売をしていれば商談途中のことや、仕入れ・集金などの事実の記録は貴重だ。場合によっては、経営が成り立たなくなることだってある。私人としてだって、家族に話してない交渉ごとや、同級会・趣味の会の預かり金、しかかり中の仕事もある。できるだけ、スムーズに引き継ぎたい。それには、まめに記録したり、「俺にもしものことがあったら、ここを見ろ」と、伝えておくことが大切だ。

いろいろ考えると、簡単に死ねない。
しかし、命はいとも簡単に燃え尽きる。本人のまったく力が及ばないところで。
それは、明日かもしれないし、いま、この瞬間かもしれない。