こんなメールを頂戴しました。

『私は谷街道に興味を持ち、街道筋を歩き調べています。先週、外様街道と言われる、飯山から曽根までを歩かせていただきました。
中曽根の公会堂の前に善光寺地震の供養塔があります。外様地区では大きな被害があったようですが、地域に残る伝承などありま
したら、「よもやま話」のなかでご紹介いただければ幸いです。』
 
承知いたしました。


ここが、その飯山市外様、中曽根集落。
 
旧、外様街道沿いに中曽根公会堂があり・・・   
その片隅に、

外様平を見下ろすように、碑が建っている。

正面には 「地震亡霊棲神之域」
側面碑文に、地震がひどかったこと、民家19軒がつぶれ、
死者63人、他に善光寺御開帳に行っていて3人が亡くなった
と、刻まれている。
 
中曽根地区と、田んぼを挟んで向かい側にある尾崎地区、我が家4代前のじさま、作右エ門(さくえもん)は、
『中曽根村の、中央と北隅にある山が崩れて土砂崩れが起き、30余戸の村半分が泥に埋まり、60余人が圧死した』 と、記録しております。
土砂崩れは、現在県道がある付近まで達し、周囲より数メートル高い、丘になっています。

なお、この善光寺大地震(弘化4年)の死者は8000人を超え、外様地区では住人の1割に当たる102名が、亡くなりました。

そのほとんどは、地震にともなう土砂崩れの被害だったそうです。
当時の絶望的なありさまを想像すれば、164年後の今、先人の苦労と、今を生きるしあわせを、思わずにはおれません。