ツギさん
信濃平スキー場の民宿かつら荘は昭和4712月に開業した。
卒業を間近に控えた大学4年の冬だった。既に就職先が決まっていた気楽さもあって、
友人の「ツギさん」と楽しい民宿経営をした。

まずは集客。ハタと困った。どうすりゃいいんだ。
ツギさんが『オレにまかせろ。』と言ったと思ったら、次々と予約電話が来た。
いぶかる私に、ツギさんは『なーに、友達やバイト先に電話しただけさ』とすまして答えた。

お客がやってきた。食事はおふくろが、送迎は親父が受け持った。
私とツギさんは何もすることがない。するとツギさんが言った。
『いいかい、あんたは、だまってニヒルな顔してな。
そして、おれが、はいっ!って言ったら、ギターを弾いて歌うんだぜ。』
そういうと彼は、宿泊客を集めた。
『これからお兄さんが歌います。皆さん拍手ー!』言うとおりにした。手作りの歌本で、歌声民宿が始まった。
ツギさんは、決して無口ではない私にしゃべらせなかった。その代り、言葉巧みに私を持ち上げた。
『お兄さんはねー、ものすごーく、スキーがうまいの。それにひきかえ私はねー、便所スタイルなの。』
言いながら、へっぴり腰を突き出してみせた。大受けだった。
翌朝、宿泊客をゲレンデのリフト乗り場に整列させると、ツギさんが言った。
『はいっ、これからお兄さんがてっぺんから直滑降で滑ってきます。みんな手を振ってー!』
合図を受けて、誰も滑っていないゲレンデをまっすぐに下ってみんなの前で止まると、大歓声が上がった。
恥ずかしかったが、いい気分だった。ツギさんは、得意の便所スタイルで滑って見せて、これまた大受けだった。
ツギさんは、私をアイドルに仕立て上げ、自分が引き立て役に徹することで、
若い女性客のリピーターをねらったのだ。
彼のねらいは的中した。
初年度のその年、収容人員30人足らずの小さな民宿で、若い女性の宿泊累計は500人を超えた。
ツギさんは、大学卒業後証券会社に就職し、日を経ずしてトップセールスマンになった。