郷土史にまったく興味なければ

数年前、タラノ芽採りに入った雑木林で

地形に いささか違和感あっても、見過ごしてしまってただろう

小学生で聞いた 親父の言 と

20年ほど前に言われた、山形から来た老人の言葉が

忘れられた遺跡発見につながった

そして、いまオレが

コレを書いておかなければ

あるいは、永遠に途絶えてしまう、かもしれない

だから、和光明神跡は、ここです

と ・・・ 書いて残してる ・・・ ので、あります

 
 

それにつけても、古い地名は不思議

上に示した和光明神跡の下 ・・・ 南側 ・・・ 通称・茶堂(ちゃど)の坂

その両側の小字(こあざ)名は 「両面寺(りょうめんじ)」 


いかにも、いわくありげ

そのうえ

この道は、飯山城下から長峰丘陵を経て、戸狩、越後へ通ずる街道

だから、なおさら ・・・ 何かがあったんだろう ・・・ と、推察

さらに

外様村史には 「それらの根拠、わからない」 と、まで書いてある

つまり、村史の筆者も、非常に興味持った、ってことだ

さて ・・・ ?????