薬師堂の脇を流れる「長峰用水」は、昭和30年代に作られた。
飯山市有尾(@標高332m)で千曲川からポンプでくみ上げ、長峰山(A標高416m)を隧道で越えて、外様平の広井川(B)の東側、
尾崎地区(C標高320m)などの田んぼを潤す。我が家に最も近い地点では、標高350mほどの山腹(D)を流れる。

この用水ができる前、稲を作るための水確保は大変だったと聞く。広井川からのわずかな水を自分の田に入れようと、夜、畔道で寝た。
てんでに、自分の田に水を入れようと小川をせき止める。川下に水が行かなくなる。川下の者は、上流のせき止めを除いて自分の方に
水を流す。これを夜中じゅう繰り返すのだ。 『我田引水』 という言葉は、悪い意味に使われる。私は、そうとばかりも言えないと思う。
水を確保するための農民の苦労を思えば、「生きるための必死の努力」という解釈があったっていい。