じいちゃん、
保育園バス待ってる空き地がなくなっちゃったよ。

そーかー、雪が1mも積もっちゃったかんなー。

けっとばしゃー、いいんじゃないー?

うーん、それぐれーじゃー、だめかもなー!
♪バスは行く行く 歌声のせて・・・♪
あっ、それは前にやったんね。
 
それにしても、正月そうそう、ちょっと降りつづいてるねー!
昭和60年1月5日昼前、 信濃平スキー場で表層雪崩が発生。スキーヤー20名ほどが巻き込まれた。
その年、地区の消防部長になったばかり。親父から勤め先に電話があった。「取りあえず、代理で出ておくが、すぐ帰ってくれ」という。
消防団員に指示する立場で、「仕事で・・」と言ってる場合じゃない。急ぎ、長野の勤務先から飯山線で帰ったものの、現場に着いたら夕暮れ。
殆どのスキーヤーは無事救出されたが、若い女性一人だけ行方不明という。日没で、その日の捜索は打ち切られた。

この年は年末から降り続き、積雪は3mを超えた。その日の新雪も1m近く。降り続けば危ないのは分かっている。
が、スキー場としては正月休みの書き入れ時、スキーヤーの大事な休暇も無駄にしたくない。判断のつらい状況だ。

翌朝、更に降雪。二次災害の危険が続く中で捜索が再開された。捜索隊200名ほどが、横一列に並んで、ゾンデという竹の棒で雪面を刺す。
地面に当たった感触で引き上げて、先端に土がついているか確認する。土がついていなければ、何かが雪中に埋まっている可能性がある。
私は、消防団員責任者の一人として斜面の最上部で捜索。新たな雪崩の兆候を見逃すまいと山の斜面も監視しながら、捜索していた。
その時  「いたぞーっ!」  と言う声がした。

そのグループは、5人でスキーに来ていた。男性2名、女性3名。きのどくなその女性は器量が悪かった。一人だけあぶれた。前日、雪崩
に巻き込まれたスキーヤー達は、それぞれ仲間たちの証言で、巻きこまれた場所が特定されて助かった。全員が救出され、捜索隊が撤収した
あとで、そのグループが、仲間の一人がいないと告げたのだ。そのうえ、彼女がどこを滑っていたのかも全く知らないという。
娘を持つ親として、娘に言っておきたい。 『自分の身は自分で守れ。誰も助けてはくれない。』

きのどくな、その女性を救急用スノーボートに乗せなければならなかった。200人いても、誰も手を出さなかった。
手を合わせ、足を持った。生きているようにしなやかだった。