昭和52年 成人の日 飯山・鉄砲町 二階の高さを歩く
(奥信濃冬物語・撮影:須坂市・鈴木政秀氏)                     
 
 38年後 平成27年2月 道路に雪なし 向こうの建物は当時と同じ
 除雪が行き届いてるからで、降雪量が減ったわけではない(撮影:筆者)
飯山に住んで ・・・ 真冬に車でどこへでも行ける ・・・ 今の生活が できるようになったのは ・・・ 思えば ・・・ ここ30年ちょっと、のこと

昭和48年(1973年)から、飯山線で長野市まで通勤 ・・・ 自宅から最寄駅・信濃平までは、車で通った。
冬 ・・・ 車の通行は可能だったが、除雪は夜が明けてから ・・・ 家を出る6時過ぎ、間に合わない ・・・ さらに車は、ほとんどが二輪駆動車だった。
冬だけ社員寮ぐらし。飯山からの「出稼ぎ」と呼ばれた。土曜日の勤務終了後、自宅へ。家まで、あと2qの所で、タイヤチェーン巻かねば帰れなかった。

昭和54年 結婚、妻の預金50万円でスズキジムニーを買った。四輪駆動・スパイクタイヤ装着、タイヤチェーン不要、冬も自宅通勤できるようになった。
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