学校紹介


沿革史

明治 19年   野坂田尋常小学校(1886
   32年  木島尋常小学校と改称 
   43年  大洪水で床上一尺まで入水多大な損害
大正  9年  木島農工補修学校を木島実業補修学校と改称
   11年  講堂兼体育場・奉安殿の建設に着手
昭和  4年  新校舎を増築
   13年  新校舎落成式を挙行 
   厳冬期  全校にみそ汁を配布
   16年  木島国民学校と改称
   22年  木島村立木島小学校・中学校開校
   24年  木島学校PTAが発足。校歌制定
   29年  飯山市立木島小学校と改称、年間完全給食を実施
   34年  台風7号による樽川堤防が決壊、新校舎床上浸水
   36年  校章を制定
   57年  樽川堤防決壊。木島地区大洪水。4日間臨時休校
   61年  新校舎建設事業着工。起工式。
平成  元年  百年記念行事を盛大に挙行
        小野澤健一氏制作のブロンズ像「田園の朝」寄贈・建立
    9年  校舎改築十周年記念事業実施。
   16年  小野澤健一氏制作の木彫「待つ人」寄贈 
        台風による樽川増水と漏水で、全校児童を緊急避難
   18年  千曲川増水で、臨時休業日
        木島小120周年記念事業実施
   20年  おおやなぎ、桑原三郎氏製作の木彫「子守り」として蘇る
   21年  おおやなぎの跡地へ、やなぎの植樹を行う
   22年  ランチルーム机・いす新しくする 
   23年  新スノーモービル導入  なかよし広場「床」張り替え
   24年  児童玄関前広場土止め工事実施、外ピロティ西「鶏小屋」撤去
   24年  米・食味鑑定国際大会小学校部門 金賞受賞
   25年  米・食味鑑定国際大会小学校部門 金賞受賞
   26年  ニ宮金次郎像 修理
   27年  米・食味鑑定国際大会小学校部門 特別優秀受賞

   28年  米・食味鑑定国際大会小学校部門 金賞受賞
   29年  米・食味鑑定国際大会小学校部門 金賞受賞



  校歌


  校歌
          作詞 林 柳波
          作曲 井上 武士

一 緑に 輝く 高社の いただき
  流れて つきせぬ 千曲の 河なみ
  田の面は 涼風  畑には ひのかげ
  天地の恵みに 平和は あふるる
  これぞ 我らが ふるさと木島



二 山河 清らに 呼びこう辺りよ
  窓こそ ふりたれ なつかし学舎
  理想は 新たに 時代をうつして
  日ごとに 伸び行く 文化を培う
  若き 力よ 我らが命
 


三 師のきみ 友だち 競いて学べば
  雨にも 風にも たじろぐ ものかは
  通いて楽しき 我らが学舎
  希望は あふれて 窓もるあの声
  光みなぎる 未来の夢よ

   JASRAC許諾番号:E1208282511

(歌詞の掲載について、JASRACへの許可をいただいています)

 

作詞家 林 柳波(はやし りゅうは)

 

 明治25年沼田市材木町で林菊三郎の三男に生まれる。沼田小学校高等科を卒業後上京し、
その後明治薬学校(現明治薬科大学)を明治43年卒業し、母校講師となる。
童謡詩人として知られ、約千篇の作品がある。昭和49年82歳で没す。
 代表作に「おうま」「うみ」「たなばたさま」などがある。

  1945年(昭和20年)413日に空襲を受け、娘の療養先であった長野県上高井郡布施村(現小布施町)に疎開。
請われて地元の校歌や青年団歌、『小布施音頭』などを作詞し、小布施村公民館の初代館長(図書館長も兼任)にもなった。

 

 

作曲家 井上 武士(いのうえ たけし)

 

 音楽教育者、作曲家、勢多郡芳賀村大字五代(現前橋市五代町)の医師の家(生家は公民館より西方約二百M)に生まれる。芳賀小、群馬県師範学校を卒業、一年間上川淵小訓導を勤めた後、東京音楽学校師範科に入学、首席で卒業。小、中、師範学校等で音楽教育に活躍。東京音楽大学学部長、文部省教科書編集委員、全日本児童音楽家連盟会長、日本教育音楽協会会長等を歴任。作品は「チュ-リップ」「うみ」「うぐいす」「菊の花」「麦刈り」等の唱歌のほか歌曲など数百曲。著書には「日本唱歌全集」「井上武士作曲集」等多数がある。

 

  

[位置]
住所 〒389-2233 長野県飯山市大字野坂田484-3
電話 0269622148 FAX 0269622309
緯度 北緯36512
経度 東経138233
(
平成14年度から国土地理院による新しい表示方法によると)
「北緯365116秒、東経1382256秒」です。
標高315m

[校地]
敷地面積 21,885㎡
校舎敷地面積 8,538㎡
校庭面積 8,550㎡