57水害の記録

 1982年(昭和57年)9月13日、木島地区は樽川堤防の決壊により大水害にみまわれ、大きな被害が出ました。特に天神堂は、平地に見える木島地区内でも一番標高が低いためその水位は2mを越しました。当時、天神堂は酪農が盛んで多くの乳牛を飼っていましたが、そのほとんどが水害の犠牲になりました。幸いにもこの水害で亡くなった人はいませんでしたが、乳牛が身代わりになったのだと今も思っています。

 

◎台風18号の水害作文集より (発行者:木島小学校水害文集発行委員会)

「かわいそうな牛」  木島小学校 1年 Y・U くん
 9月13日のあさ、おとうさんが「大水がきた」といった。すぐいろいろなものをはこんだ。そしてつぎの日おかあさんがみてきたら水がすこしすくなくなったといったからうれしかった。そして、にげたうちは、まぐせのはるひこあんちゃのうちににげました。うしが34とうしんだからかなしかった。にわとりはぜんぶたすかった。木の上にのぼっていたからです。「うしもはやくにげてくれればたすかったのにな。」とおもいました。でも犬とねこがたすかってよかった。
 うしがよこになってしんだところを見たとき「うしもくるしかったろうな。」とおもったらなみだが出てきた。
 おとうさんもおかあさんもおばばとばあちゃんあんちゃんとぼくでみんななきました。かなしかった。くやしかった。もう大水はいやだ。


面綱を切っても小屋を離れない牛たち

「洪水の日のこと」  木島小学校 6年 Y・I さん 
 9月13日月曜日の朝のこと、台風18号でたる川のていぼうがきれた。というより、くずれたといった方がいい。
 私は5時ごろおこされた。昨日の11時ごろ天神堂で火事がおきた。なかなかねむれなくて、ねたのが2時ごろ、約3時間しかねてない。
 家には、牛がいるので家のことはなんにもしていない。家にいるのは、おねえちゃんとおばあちゃんと、妹しかいない。
 「ていぼうがきれた。」ときいたとき妹が外にとびだした。そこにおじいちゃんが牛をひきしま、その妹をみつけた。もちろん牛より妹の方がだいじなので、牛をはなした。水が家の中に入ってきた。水がふえてきたので二階に上がった。外を見ていたら、妹がいるではないか、なんだか力がぬけた。水がふえないのなら、家にいたいナー、と思った。人がすぐ近くにいたので、べつにこわくはない。でも心配なのは、今いる家がこわれないかどうか。……
 しばらくして、消防団の人に救助された。その日は、中村の家にとめてもらった。やっぱりその日は、よくねむれなかった。
 牛は平塚山の、農林高校のリンゴ畑におかしてもらった。家の牛は、16頭のうち、3頭死んでしまった。犬はやはり、中村の家においてもらった。
 次の日、おじさんたちがきていた。家の人は、おじさんたちがきてくれて、「たすかった」といっていた。私はおじさんたちがくるとこまるなーと思った。だって家の人が「人が手伝いにきているのに遊ぶな」ってすぐ人の頭をたたくんだもの。でも、洪水がきたから、みんなしゅうりして、きれいになったみたい。
 将来もこんなことがあるのだろうか、できればないほうがいい。私は考えた。みんなで早く家をかい、洪水になっても、家に水がはいらないように。


人も牛も堤防に避難

 

その時樽川は  堤防決壊現場  あとかたづけ

畜魂碑

 

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