飯山城址の最も城跡(しろあと)らしい所はココ

    

飯山城址近くに 「肴町」 の町名がある

これは城下町特有の地名で、魚屋がまとまって営業した町、らしい

具体的には、本町通りの西側、飯山線の線路沿いの地区

西大滝ダムが造られる昭和初期まで、千曲川を擁する信濃の国は、日本有数の 「鮭」 漁獲量を誇った

また、オラが子供の頃
オサムチャンちの爺さん、(ウナギ)獲って、出荷するまで、自宅脇の小川で大量に飼ってた

江戸時代、副業で川猟師する人、沢山いたに違いない

山の猟師も
猪の肉や獣肉 「山鯨(やまくじら)」 と呼び、肉屋のない時代、魚の仲間として魚屋で売ったんじゃないか

トコロ変って、北陸・加賀では 「坂網猟」 で獲った鴨、八百屋で売ってたという

肴町には、八百屋もあったろうし、鴨や、キジ、ヤマドリも、きっと売ってた

肴町の南側は 「鉄砲町」 

この町名も城下町特有の 「町名」 で、鉄砲足軽が居住した町という

鉄砲町はイマ ・・・ 「飲み屋街」 ・・・ だから 「肴町」 の、隣にできた

と、いうことは ・・・ この界隈、さしづめ築地場外市場 ・・・ なるほどなあ ・・・ と妄想しつつ

「肴」 「サケ(鮭・酒)」 「鉄砲」 という 三題噺 

首尾よく 「落ち」 がつきました ・・・ おあとの用意が、よろしいようで