・・・ あった! ・・・ 富倉郷土誌 ・・・

それも、飯山市で最も古い発行年、コピーを綴った複製本

・・・ 富倉は ・・・

笹寿司と富倉そば、ヒャットで有名なだけでなく

飯山市で最も古くから歴史認識を持った村だった


しかし、なんで同じ書架に並んでない?

図書館の責任者に聞いてみれば、

貴重な複製本のため、閲覧依頼あった時だけ

書庫から持ち出すのだそうです。


・・・ さらに ・・・ 柳原村富倉? ・・・


そうです、富倉村は明治22年、

富倉峠を挟んだ、反対側の柳原村に編入され

そのまま、昭和29年8月1日

飯山市になった のでありました

・・・ ここで ・・・ さらなる疑問 ・・・

飯山市は、9町村が合併して誕生した ・・・ にもかかわらず ・・・ 

柳原村に属してた富倉地区が、10番目の地区として独立したのはなぜか? ・・・ そして、いつなのか?

残念ながら、郷土誌、町村誌史には、まったく記述はありませんでした

・・・ 推測すれば ・・・

飯山市が誕生した時、旧町村それぞれに飯山市役所出先機関が置かれ、遠隔地の富倉にも置かれた

それが、なし崩し的に 「富倉地区として独立」 したんじゃないか? 

・・・ つまり、行政主導 ・・・ 

住民が苦労して勝ち得た結果じゃないので、誰も書いて残す必要性を感じなかった ・・・ もっと言えば

住民は、望んでなかったから記録しなかった?

・・・ 因みに ・・・

飯山市消防団第8分団(富倉地区)は、団員不足の為、今年から第5分団(柳原地区)に吸収され

過疎化で63年前に戻った ・・・ この先 ・・・ 区長会、公民館なども、そうなる可能性が高い

・・・ とすれば ・・・

富倉地区独立が行政主導で行われ、行政負担に嫌気した住民が次々と富倉を離れ、結果的に過疎が加速

・・・ つまり、行政が引き起こした過疎 ??? ・・・

田舎に住んで、色んな役職 抱えるなら、都会のアパートに住んだ方がラク、と考える若者が増えている

・・・ 行政は ・・・ 

自らをスリム化するため、住民に負担を押し付け、過疎を加速化させてはいけない