針後池の周辺に広がる、飯山市長峰スポーツ公園  車をとめて、木陰で読書する人がいる

ここがスポーツ公園として開発が始まったのは、昭和50年8月、飯山市民体育館の着工。

当時、民宿を営んでた我が家、全国の大型工事現場を渡り歩く鳶職人10数人が宿泊。

ある日 ・・・ 私が長野の勤務先から帰宅する午後7時、鳶の親方が待ち構えていた。

・・・ にいちゃん ・・・ オレ達を、女の子のいる店に、案内してくれんか ・・・
・・・ あんたも一緒に行こう。カネのことは、心配せんでいい ・・・ と言った。

根っから酒が好きだから喜んで案内、一緒になって、ちゃんわちゃんわ、した。
そんなことが週に何回か、彼らが滞在した数か月間続いたのだった。
気が荒く、ケンカっぱやい鳶職人達との、短期間だったが、貴重な付き合いになった。

親方は ・・・ オレ達は四国から来て、ここが終われば、次は東北。1年中こんな生活さ。
ヤクザなオレ達と、分け隔てなく飲めるにいちゃんはキット出世するゼ、と言った。

その人達が、その後どうしたかは、知る由もない ・・・ が ・・・ この時の経験が後年、
仕事でマルサや暴力団と対決、怒声を発せられても動じない度胸につながったのだった。