そぶの池から黒岩山頂への道をたどると、途中 「あけび窪」 の池のそばを通って、
黒岩山頂手前100mぐらいまで、四輪駆動の軽自動車で行って帰ってこられる。
ただし、崖から落ちたり、途中で立往生しても知らない。

そぶの池から、左にルートをとれば関屋分校跡まで2.3q。そこは、国道292号線。
中条から登って北峠へ行く半分ほどの距離。
分校の教員は、こちら側から分校に通ったらしい。

北峠が廃村になったのは、なぜかって?
そうです。飯山市集団移住補助金交付要綱の制定であります。つまり、金やるから山を下りな。
したがって ・・・ 放っておくと、あなたの小集落も、いずれ同じ運命をたどるかもしれませんよ。

さて、今回、これらを調べて思ったこと。

@ 外様村史(昭和32年発行) 太田村史(昭和29年発行) など、戦後まもない頃、飯山市では
  村史誌の編纂が盛んで、なお驚くべきことに公民館が主体になって作っている。
A しかし、残念ながらそれ以降、すなわち我々が生きてきた時代、極めて資料が多いはずの時代は
  身近な歴史を調べる刊行物がない。中条〜北峠道路だって関わった人は生きているが資料がない。
B 村史は、故人の日記が引用されることが多いが、個人情報やプライバシーが云々される現在、
  これから先、それが利用されることは、まずない、と考えた方がいいだろう。

つまり、「自分史」 などの自費出版や、言わずと知れた 「ブログ」 などが、貴重な資料となるのだ。
・・・ 随分前、 何年前かすら定かでない頃、祖父の妹の葬儀に参列した。喪主たる、父のいとこ曰く。
『亡くなった後、広告の裏に拙い文章で書き綴られた母の日記を見つけた。読んで涙が出ただけでなく、
こんなことまで書いてあると、自分達に対する母の想いに、胸が熱くなった。』 と。
そうなんです ・・・ 書いて残さない限り、人も記憶も露と消えて ・・・ 跡かたすらも残らない!